たけし軍団の一員として長年愛されてきたグレート義太夫さん。
若い頃は、ロン毛のアーティストとして、音楽活動も盛んに行っていました。
本記事では、義太夫さんの若い頃の画像や、芸人として歩んで来た初期の経歴をわかりやすくまとめます。
グレート義太夫の若い頃はロン毛?

派手なルックスではなく、柔らかい目元・襟足の髪が長めのロン毛が特徴。
大学時代は音楽サークルでドラマ担当

義太夫さんは、大学時代は音楽サークルでバンドを組んでドラムを担当。
ギターのイメージが強い義太夫さんですが、若い頃はリズム隊としてバンドを支える立場だったのです。
ドラムは、バンドの土台を作る楽器
メンバーの呼吸を感じながら支える役割
派手さよりも”安定感”が求められるポジション
義太夫さんのバンドでも穏やかな優しい性格は、「前に出るより、仲間を支える」芸人としての立ち位置にも重なりますね。
大学時代のドラム経験は、後のギター漫談や音楽活動にもつながり、義太夫さんの音楽家としての顔を育てました。
たけし軍団の中でも、音楽的なセンスと優しい性格で、”聞き役”として愛された義太夫さんの人柄に重なりますよね。
120キロあった体重

グレート義太夫さんは、若い頃に体重が120キロ近くまでありました。
当時は食生活の乱れや不規則な生活が重なり、かなりの肥満体型でした。
その後、バナナダイエットで25キロ減量し、体調管理を徹底。
これにより、芸人としての活動にも良い影響が出てきて、見た目の印象も大きく変わりましたよね。
若い頃は太りやすい体質だった
軍団の過酷なスケジュールで生活が乱れた
しかし自力で減量し、再び活動を広げた
グレート義太夫の昔のロン毛画像や芸人としての経歴

グレート義太夫プロフィール
本名:鈴木 正之(すずき まさゆき)
生年月日:1958年12月26日
没年月日:2026年9月7日(享年67)
出身地:東京都
所属:たけし軍団/TAP
職業:お笑い芸人・ミュージシャン・作家
1983年、たけし軍団に加入
ビートたけしさんのバックバンドのシークレット・ポリスのドラマーとして加入しました。
テレビの勢いが最高潮に向かっていた時代で、軍団はまさに”若い才能の集まり”です。
バンドマンとしてギターも弾きこなす義太夫さんは、その柔らかい雰囲気と人気で、軍団の中でもすぐに馴染んだようです。
義太夫さんは、以前からビートたけしさんの大ファンだった事もあり、弟子いりを希望する形で、たけし軍団のタレント芸人として活動を開始。
グレート義太夫の芸名
プロレスラーの”ザ・グレート・カブキ”から来ています。
ザ・シークレット・カブキは、アメリカで最も成功した日本人プロレスラーの一人であり、東洋の神秘の異名を持つペイントレスラーです。
名付け親であるビートたけしさんは、義太夫さんがザ・グレート・カブキさんにあやかり、「グレート義太夫」と名付けました。
「義太夫」という響きは、軍団らしいユーモアとインパクトを持ちながら、日本的な雰囲気もあり、義太夫さんの人柄に不思議とフィットしていますね。
昔って、ノリで名前を付けていましたよね。
でもこの名前は印象的で大正解だと思います。

さすが、たけし師匠です。
バラエティ番組で活躍
「元気が出るテレビ」など、80~90年代のテレビ黄金期に出演。
「オレたちひょうきん族」や「スーパーJOCKEY」などでも笑いをとって活躍していました。



懺悔の神様・ブッチー武者に似ていたよね!
体を張るタイプではなく、たけし軍団の”癒し枠”のような存在でした。
音楽ネタやトークで独自の存在感を発揮していましたよね。
優しさが分かるエピソード
①たけし軍団の中で、誰よりも”聞き役”だった
怒鳴り合いの後でも必ず相手の話を静かに聞く役。
後輩が悩んでいると、「まあまあ、落ち着いて話そうよ」と、相手の気持ちを受け止めるタイプでした。
②病気の後輩芸人に、こっそり差し入れを続けた
誰かが体調を崩したと聞くと、自分の透析帰りでも必ず差し入れを買っていく人。
「無理するなよ。食べられる時に食べな」とそっと置いて帰る人でした。
③自分がどれだけ辛くても、周囲には明るく振る舞った
血糖値が630を記録したときでさえ、ブログやSNSで「大丈夫だよ。心配シないで」と明るく発信。
1回5時間に及ぶ治療で体が思うように動かない日でも「今日もギター触れたよ」と周囲を安心させる言葉を選んでいた。
④心筋梗塞で倒れた後も、仲間へ感謝
2024年に透析中に心筋梗塞で緊急搬送され、10時間の大手術を受けた直後に義太夫さんが発した言葉は「支えてくれたみなさん、本当にありがとう」という言葉。
自分の命が危険な状態でも周囲への感謝を真っ先に伝えていた。
まとめ


グレート義太夫さんの優しさは、派手なエピソードではなく日常の中で自然に人を思いやる行動に表れていました。
たけし軍団の中で誰よりも聞き役に徹しました。
病気の後輩にはそっと差し入れをし、自分が苦しい時でも周囲を安心させる言葉を選ぶ、そんな義太夫さんです。
義太夫さんは、マンション内の階段で座り込むように亡くなっていた所を発見。
最期まで迷惑がかからないよにという義太夫さんの優しい生き方が伝わってきます。
エレベーターのない階段を、ゆっくりと上下していた日々。
その途中で力付きた義太夫さんを思うと、たけしさんの「また会おうな」という言葉が、優しい約束のように響いてきますね。
その穏やかな人柄こそが、義太夫さんが長く愛された理由です。
最後まで読んで頂きありがとうございます。
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