来生たかお さんの代表曲は、「Goodbye Day」「夢の途中」「シルエットロマンス」他。
ノスタルジックな曲調を、淡々と叙情的に歌い上げる来生たかおさんの歌い方は、都会的なセンスで引き込まれてしまいます。
そんな来生たかおさんの現在はどうしているのでしょうか。
妻や子供の事や、来生えつこさんとの関係を、紐解いていきたいと思います。
来生たかおの現在!妻と子供は?

来生さんは現在何処に住んでいるのでしょうか。
現在の住まい
来生たかおさんは、現在 東京郊外の東久留米近辺に住んでいます。
毎年 西東京市にある東伏見神社にお参りに行っているとの事。
お正月は人ごみの多いので 元旦のお参りを避けて7日ぐらいに、「ボケない事を願って!」と参拝しているそうです。
touko神様にお祈りする来生さんカワイイですね!
現在も妻と煙草を愛飲!
御夫婦で 30年前から元祖セブンスターを吸っているとの事。
「夫婦でタバコを美味しくたしなんでいるが、いたって健康である。風邪を引いた時は、不味いので、体調管理の目安にもなる」と。
また「副流煙に発がん性があるのは、眉唾だと思う!」
と述べています。
子供は
来生さんの子供は、息子さんが2人。
長男が36歳、結婚して孫がいるので、おじいちゃんとの事です。
次男が33歳との事で、2人とも独立し、今は夫婦2人で暮らしています。
来生さんは、パソコンが苦手との事で、作曲は今だにすべて手書きで執筆しているそうです。
タバコを美味しく夫婦でたしなんだりと心地よく生活しているようですね。



仲がいい夫婦で羨ましい。
自分のすきな事をすきなように嗜むのは、逆にボケたりしないと思います。
来生たかおの経歴!


本名:来生 孝夫(きすぎ たかお)
生年月日:1950年11月16日(75歳)
出身地:東京都(大田区大森とする記述もあり)
学歴:城西大学中退
職業:シンガーソングライター、作曲家
担当楽器:ボーカル、ピアノ、ギター
活動開始:1976年〜
所属:株式会社ベイシック
レーベル:ユニバーサルミュージック
来生たかおさんは、ザ・ビートルズの「Let It Be」のイントロを聴き、これぐらいなら自分でも弾けると思ったそうです。
20歳の時に、近くの個人ピアノ教室で子供達に交じりながら、ピアノを習い始めました。
バイエルを3ケ月で終わらせて、週3回で約1年半の間 教室に通ったそうです。
家では紙鍵盤で練習し その後は独学で学習したとの事。
来生さんピアノを始める年齢が20歳は、凄いですね。
自分に必要ならば、”やる”という行動力が素晴らしいです。



やはり一流になる人の行動力。
音楽デビュー!


来生さんは20代の前半は、音楽喫茶(銀座タクト、渋谷の”青い森”)に出演していました。
渋谷の”青い森”で、井上陽水さんと出会い、お互いオリジナルの曲やビートルズナンバーを演奏していたことから、親しくなって行きます。
RCサクセションとも、”青い森”でよく顔を合わせており、忌野清志郎さんとは2000年に共作しています。
2年後、井上陽水さんがシングル「夢の中へ」をヒットさせる中、 来生たかおさんはまだアルバイト暮らし!
そして 井上陽水さんのアルバム「断絶」にアコースティック・ギターで参加するお誘いがきて参加する事になります。
井上陽水さんの存在は、陽水さんのディレクターとの対面を引き寄せ、デビューのきっかけをくれた恩人です。
来生さんにとって、井上陽水さんの存在は大きいですね。



誰と知り合うかで、本当に人生が違う事の証明だね。
来生たかおさんがリスペクトし、弟子入り覚悟で通い詰めた作曲家に、いずみたく先生、浜口庫之助先生がいます。
ほとんど門前払いだったとの事。
陽水さんのディレクターをしていた多賀さんにも はじめは認められなかったそうです。
でも 多賀さんも参ってしまうぐらいの粘り強さで、何度も日参した来生たかおさん。
やがて、スタジオへの出入りを許され、デモテープの1曲が多賀さんに認められました。
そして、レコードデビューの話が舞い込む事になります。
書き留めていた楽曲の中から、50曲をデビュー候補として録音する運びとなりました。
デビュー前で、曲が50曲以上あるなんて、来生さんはやはり凄い音楽的才能ですね。
対人恐怖症という繊細さ
来生たかおさんは、「対人恐怖症である。」と自身の性格を評しています。
テレビ出演の心境をよく「寿命が縮む」という言葉で表現していますよね。
テレビ初出演の時の極度の緊張感を味わった時の光景は、今でも夢に現れるとの事。



本当に来生さんってシャイ。
だから来生さんの繊細で都会的な曲が出来るのだと私は思います。
来生たかおと来生えつことの関係!


本名:来生 悦子
生年月日:1948年3月9日(78歳)
出身地:東京都
学歴:東京都立豊島高校 → 女子美術短期大学卒業
職業:作詞家・小説家・エッセイスト
活動開始:1970年代〜
共同作業者:来生たかお(弟)
来生えつこさんは、来生たかおさんのお姉さんです。
えつこさんは編集者をしながらフリーライターをしていました。
弟 来生たかおさんの曲に詩を付けるようになり、プロの作詞家になったという凄い才能の持ち主です。
姉の音楽的影響!
来生たかおさんは、姉 来生えつこさん から凄く強い影響を受けました。
姉えつこさんが、ビートルズのチケットを3枚が手に入れた時に、姉 えつこさんの友達が1人行けなくなってしまいました。
その余った1枚のチケットで、来生さんはビートルズコンサートに行く事が出来たそうです。
特に来生さんはポール・マッカートニーが好きだったとの事。
その年発売の ビートルズの「ラバーソウル」という曲が、姉 えつこさんの部屋からよく流れてきていました。
姉の友達がギターを持って遊びに来た時に、姉の部屋でフォークソングを弾いている音が聞こえてきたりと、音楽を目指す環境に恵まれていましたよね。
姉が高校通学時に、観察した「サラリーマン」というタイトルの散文詩に、来生たかおさんが勝手に曲をつけたのが、作詞の初めてだそうです。



本当に才能が凄いね。
来生たかおさんは、大好きな姉 えつこさんに影響を受けたのがよくわかるエピソードですね。
姉とコンペに応募!


1977年リリースのしばたはつみ の曲「マイ・ラグジュアリー・ナイト」は、東洋工業(現マツダ)のCM楽曲コンペの為に書かれたものです。
小林亜星、筒美京平等、ベテラン作家陣も参加したコンペで、来生姉弟は、無名の自分達が、選ばれるはずが無い!と思っていた中で、優勝を果たしたのは流石です。
これを機に、ソングライターコンビとして一躍脚光を浴びる事になり、以降は楽曲提供依頼が次々と舞い込むようになってきました。
薬師丸ひろ子への楽曲提供!
映画「セーラー服と機関銃」の主題歌を、主演の薬師丸ひろ子さんが歌い映画共々、大ヒットした曲です。
(作詞)来生たかお(作曲)来生えつこ と2人で創った曲。
元々、来生たかおさんが歌うはずだったのが、急きょ薬師丸ひろ子さんが、歌うことになってしまいました。
その後、来生たかおさんも「夢の途中」として発売します。
薬師丸ひろ子さんのおかげでヒットした自分は幸運だった。と振り返っている来生たかおさん。



来生たかおさん本当に謙虚!
これが来生ファンのみんながしびれる所で、人間性が出ていますね。
来生たかおさんは、他にも中森明菜「セカンドラブ」や大橋純子「シルエットロマンス」等様々なアーティストに楽曲を提供するアーティストです。
来生さんの創る音楽は、都会的でありながら、時代の風を読んでいるというセンスがありますよね。
来生さんの声も控えめでありながらも、ピンと一本筋の通るような歌声です。
来生たかおファン歴30年の私は、これからも来生たかおさんの曲を聴き続けていきたいと思います。
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