大橋純子さんは、美しい哀愁あるメロデイを奏でる名曲を、圧倒的な声量と歌唱力で存在感を際立たせていました。
大橋さんは2023年11月に、食道ガンの為73歳でお亡くなりになってます。
大橋純子さんの夫である作曲家の佐藤健さんは、音楽活動も 夫としても 大橋さんをしっかりと支え続けていました。
大橋純子さんの夫である佐藤健さんと、現在も哀しみが続く大橋さんの早すぎる死を偲びたいと思います。
大橋純子の夫は現在も哀しみが続く!

職業:作曲家・編曲家・キーボーディスト
ジャンル:J-POP
共同作業者:大橋純子
大橋純子さんの夫は、佐藤健さんです。
大橋さんが亡くなられて、2026年で3年が過ぎようとしています。
夫 佐藤健さんにとっては、あっという間に時が過ぎたのではないかと思います。
今も佐藤健さんの哀しみが続いています。
2人の出会い!

作曲家の佐藤健さんは、ヤマハ・ミュージック時代に、大橋純子さんと出会いました。
1976年、大橋さんのバックバンド美乃家セントラル・ステイションを結成します。
大橋さんと共にステージを共にし、各地の大学の学園祭に呼ばれ常に一緒にステージに立ち続けました。
1977年リリースの3rdアルバム「RAINBOW」以降、「大橋純子&美乃屋セントラル・ステイション」と、レコードにクレジットされるようにもなります。
1979年大橋純子さんと結婚し、2023年の大橋さんが亡くなるまで、ずっと大橋さんを支え続けた佐藤健さん。
喪主としてのご挨拶!
東京増上寺で営まれた大橋純子さんの告別式で、喪主を務め参列者にご挨拶しております。
「こうして参列してくだっているみなさまのお顔を見ていると、本当にいろいろな方にお世話になったんだなと痛感しております。
長い間支えてくださり、ありがとうございました」と感謝した。
活動の拠点をアメリカ・ニューヨークへ移した後に歌手として第二の人生を歩み始めた矢先の、2018年の早期食道がんの診断。
佐藤氏は「新たな音楽人生の始まりであり、病気との戦いの始まりでもありました」と、大橋さんと過ごした日々に思いを馳せた。
引用元 (C)ORICON NewS inc.
「来年の50周年を楽しみにしていましたが、その願いは叶いませんでした」と涙を流しながらも、「それでも、みなさまやファンの方々のおかげで、悔いのない歌手人生だったと思います」と改めて感謝を伝え、「新しい旅立ちです。どうか明るく見送ってあげてください」と呼びかけた。
佐藤健さんは、大橋さんが新たな人生のスタートを切ったばかりで、本当に残念な気持ちだったでしょうね。
そういった大橋純子さんの思いが伝わってきます。
私達の心に染みる歌を歌い続けた大橋さんを、ずっと支え続けた佐藤健さん。
共に歩んだ佐藤健さんの沈痛な思いと共に、明るく見送りたいという思いも伝わって来ます。
大橋の早すぎる死を偲ぶ!

大橋純子さんは、ガンが見つかってから治療もむなしく亡くなるのが早かったですよね。
ガンの公表と再発!
大橋純子さんが67歳の時、2018年に初期の食道ガンの治療を始めた事を公表しました。
純子さんは、早期の為 放射線治療と抗がん剤による治療を組み合わせた放射線化学療法の治療を実施!
2019年12月に、乳がんが発見され左胸を全摘した再建手術を受けています。
しっかりと向き合ってリハビリに励み、苦しい中で 完治させました。
「もう1回 歌を歌うんだ」という目標で、前を向き続けたリハビリだったと思います。
そして2019年に活動を再開!
喜びもつかの間、2023年3月の再検査の際に、食道がんの再発が判明してしまいます。
そして再び休養に。
touko本当に残念でしたよね。
大橋純子のWiki的プロフィール


名前:大橋 純子(おおはし じゅんこ)
生年月日:1950年4月26日
出身地:北海道夕張市
血液型:A型
身長:153cm(公表値)
職業:歌手
ジャンル:ファンク、R&B、ソウル、歌謡曲、ニューミュージック、シティポップ
活動期間:1974年〜2023年
所属事務所:オフィスウォーカー
レーベル:フィリップス、日本フォノグラム、EPIC/SONY、Vap など
共同作業者:美乃家セントラル・ステイション、佐藤健、松本隆、筒美京平ほか
大橋純子さんは、北海道夕張市に4人兄弟の末っ子で生まれました。
1972年藤女子短期大学時代に、北海道のHBCラジオで、深夜放送のパーソナリティを行っていました。
軽音楽クラブバンドで、ハードロックも歌っていたんです。



アクティブでカッコイイですよね純子さん。
1972年に上京し、バンド活動を開始しました。
小柄な身体でも、日本人離れした歌唱力と豊かな声量で、音楽性が際立っていました。
そしてレコード会社のオーディションを受けて合格し、レコードデビューが決まります。
大橋さんは、ヤマハ時代の関係者や古くからのミュージシャン仲間達には、当時からの愛称のジュンペイと呼ばれて親しまれていました。
- 1974年、「フィーリング・ナウ」でデビュー。
- 1976年、「ペーパー・ムーン」2ndアルバムが最初のヒットとなり、次の「シンプル・ラブ」に続く。
- 1978年、「たそがれマイ・ラブ」が自身最大のヒット!
- 同年の日本レコード大賞受賞。
- その後の「サファリナイト」もヒット!。
- 1979年、作曲家の佐藤健氏と結婚。
- 同年NHK紅白歌合戦へ「ビューティフル・ミー」で初出場します。
2018年、早期食道ガンを公表し治療に専念します。
そして2019年活動を再開しました。
2023年3月に食道がん再発を公表し、コンサートツアーを中止。
治療に専念しましたが、同年11月に73歳で旅立たれました。
純子さん自身が、エネルギーが高い方なので、病気の進行も早かったのでしょうか。
音楽に一生を捧げるという、美しい人生でしたね。
「愛は時を超えて」
大橋純子さんの告別式で流れた曲です。
「愛は時を超えて」は、盟友の松崎しげるさんが弔辞の中で熱唱した曲!
松崎さんは「ジュンペイがいなくなって寂しい!」と伝えています。
大橋さんが歌っていた名曲の数々は、これからも永遠に残り続けると思います。
最後迄、お読み頂き有がとうございました。








