徳永英明 息子レイニも歌手?現在の家族構成や経歴、もやもや病って?

男性シンガー

 

徳永英明さんの名曲「Rainy Blue」レイニーブルーは、1986年1月21日に発売されたデビュー曲です。

徳永英明さんの次男である「レイニ」は、その大切な「レイニーブルー」から付けられた名前。

その「レイニ」さんが、なんと歌手デビューしています。

徳永英明さんの家族のあり方と経歴、そして徳永さんのモヤモヤ病の発症ともやもや病との付き合い方を、紐解いていきたいと思います。

徳永英明の息子「レイニ」歌手デビュー!アーティスト、モデル、俳優としても注目を集め、マルチに活躍している!

レイニさんは、父である徳永英明さんのデビュー曲で、代表曲でもある 「レイニーブルー」から名前を授かっているとの事。

「レイニ」素敵な名前ですね。

レイニさんは、アメリカで高校生活を送っており、本場の海外音楽に触れた経験を積んでいるそうです。本格的な英才教育ですね。

本人レイニさんも

『聴いていて心地よいとか気持ちいいと言ってもらえるのは、一番嬉しいですし自信になります。』と言っています。

ハスキーで心地よい歌声を披露しています。

また、2025年、日本テレビ系ドラマ「相続探偵」の主題歌(ラストレター)でデビューしてます。

また、2019年頃からモデルや俳優として活動もしており、映画「レジェンド&バタフライ」やテレビ朝日系ドラマ「相棒season23」にも出演しています。

端正な顔立ちや演技だけでなく、SNSで披露する歌声は透明感のある歌声ですので、必見!です。歌声が心に染みてきますね。

鼻筋や目元!徳永さんのDNAを確実に受け継いでおり、日本人離れしていますね。

少しハスキーな歌声も紛れもなく徳永さんから受け継いだものだなと感じますよね。

徳永英明さんの奥様がモデルだった事もあり、レイニさんはとっても端正な顔立ち!個性があって魅力的です。

徳永英明と奥さんとの馴れ初めと家族構成は

徳永英明さんは、1994年にViViのモデルとして活躍していた”ゆみさん”と結婚しました。

音楽関係者との飲み会で初めて出会ったそうで、電話番号を交換し、最初に電話で話した時に徳永さんは、「この人と自分は結婚する!」と確信したそうです。

声のトーンや話し方が、自分のフィーリングに合って、ビ ビ ビっと来たんでしょうね。

徳永英明さんは2人の男の子を授かりました。

1995年に長男の「勇翔(ゆうしょう)」君で、現在は音楽関係の会社で働いているそうです。一般のサラリーマンとの事。

1998年に次男の「レイニ」君が生まれました。現在は、アーチスト、モデル、俳優として活躍中です。先日歌手デビューもしました。

2人ともイケメンですが、レイニ君は芸能界デビューし、お兄さんは一般の会社に勤めているんですね。

それぞれの自分の人生選択があって、凄くいいですよね。

徳永さんは奥様と、とても仲が良く2人で駒沢公園を散歩したり、たまに一緒に走ったりとかしているようで、健康的な生活を送っていますよね。

それぞれの道を歩んでいるとても素敵な家族ですよね。

徳永英明がレイニーブルーでデビューする迄のWIKI的プロフィール

徳永英明さんは、1961年2月、福岡県の生まれで、兵庫県伊丹市で育っています。

中学3年の時に、井上陽水の「氷の世界」を聴いて衝撃を受け、音楽で自分を表現したいと思うようになりました。

専門学校を中退し、19歳の時に上京、レコード会社近くの飲食店などで働きながら、顔馴染みになった音楽業界の関係者に自作の曲の入ったカセットテープを渡していたそうです。

音楽で身を立てられるよう積極的にアプローチをしていましたが、中々目が出なかったようです。厳しい世界ですね。

徳永英明さんはデビュー前に、軽井沢の観光シーズンに、資金を貯める為にバイトしていた喫茶店で、レイニーブルーの作詞をした大木誠さんと知り合います。

2人はバイトが終わると、一緒に曲作りをしました。徳永さんの「ザ・レイニーシーズン」という曲と、大木誠さんの詩をあわせたのが、「レイニーブルー」の原型です。

東京に戻ってからも音楽業界のお客さんの多い喫茶店でバイトを続けながら、デモテープを作る日々でした。

作った4曲入りのデモテープを聴いてくれた1人の音楽関係者が、「デモテープ4曲目のレイニーブルーのような音楽を君は目指した方がいい!」というアドバイスを貰ったそうです。

そこで、方向性が決まり、「第2回マリンブルー音楽祭」でグランプリを獲得し、半年後の1986年1月、徳永英明さんはアマチュア時代から歌い続けてきた曲「レイニーブルー」でデビューを果たす事が出来ました。

徳永英明さんがデビューしたのは24歳10ケ月の時で、父親との約束「25歳までにデビュー出来なかったら父と同じ職業を継ぐ」というぎりぎりのタイミングでした。

ぎりぎりのタイミングで、ちゃんと父親との約束を守る事が出来るって凄いですね。

デビューするという夢が叶って、本当に良かったです。

徳永さんの憂いと哀しみを含んだ透明感のある歌声が、私達が聴く事が出来る由縁です。

「レイニーブルー」はそういった特別な思い入れのあるデビュー曲であり、1990年発売の10枚目のシングル『壊れかけのRadio』と共に徳永英明さんの代表曲です。本当に心に染みる名曲ですよね。

 

徳永英明 2001年5月に モヤモヤ病を発症!

歌詞が出てこなくなった事から病院を受診し、「モヤモヤ病」と診断されました。

活動は続けていましたが、2016年に体調不良を訴えて、脳梗塞発症予防のバイパス手術を受けてます。55歳の時です。(1961年2月生まれ )

モヤモヤ病は、脳に血液を送る太い血管が徐々に詰まってしまう原因不明の血管障害です。

脳底部に異常な血管網がみられ、脳血管造影の画像で煙草の煙のようにモヤモヤして見えることからこの病名が付けられました。

1986年のデビューから走り続けていた徳永さんは、コンサートツアーを始めとした音楽活動や、他の歌手にも楽曲を提供したり、書籍や写真集も出版。

得意なサッカーを生かしてワールドカップ取材も経験し、サッカー番組の司会もこなしていました。凄い仕事量ですね。

徳永さんは、こんなコメントを残しています。

「当時は全然寝ていなかったですね。」と言っているように、過酷なスケジュールにもかかわらず、体調管理を怠り、コンサートが終わった後でも、麻雀やテレビゲームで夜を明かし、酒やたばこも大好きでした。なんとなく体はだるく頭が痛むこともあったが、乗り切れていた。ただ、体はすでに危険信号を発しており、その頃から、手足の脱力など一過性の虚血性発作は時々出ていた。

そんな生活が続いていた2001年5月、歌っていて歌詞が出てこない。

脳血管の難病「モヤモヤ病」でした。脳の血管が細いため、脳卒中を起こしやすいのもこの病気の特徴である。

予防には、新たな血流を確保するバイパスを作ることが有効とされているため、医師に手術するように説得されて、2016年2月に入院し、1か月間で退院します。

徳永さんは自身のブログで「発症したわけではありません 僕はずっと『もやもや病』と付き合ってきたのです」と 今もモヤモヤ病と共に生きています。

才能あるアーチストは身体の痛みや心の痛みを抱えているようです。それでも美しい曲を歌い続けるって、素晴らしいですね。

徳永英明女性カバー曲ベスト5 心に染みて来ます。

 「駅」 竹内まりや 1999年リリース

 「Woman ‘Wの悲劇’より」 薬師丸ひろ子 1998年リリース

 「やさしいキスをして」DREAMS COME TRUE   2004年リリース

 「時の流れに身をまかせ」 テレサテン 1986年リリース

 「翳りゆく部屋」 松任谷由実 1976年リリース

上記ベスト5は、曲も歌詞も素敵ですが、なんと言っても徳永さんの雰囲気のある歌い方が原曲とまた違うストーリーを生んでいます。

「モヤモヤ病」と付き合いながらも、素敵な歌を歌い続ける徳永英明さんから、切なさの中に癒されていく心が、歌声から伝わって来ます。

最後までお読み頂き、ありがとうございました。

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