太田裕美 現在 何の病気?重ねた年齢と「木綿のハンカチーフ」!

女性シンガー

太田裕美は、現在70歳です。66歳の時に乳がんを発症し、大好きなお酒も控えめにしながら仕事を辞めずにセーブしつつ治療をしてましたが、現在は体調不良のため、治療に専念する事が発表されています。

体調回復次第、デビュー50周年イベントコンサートの記念活動は開始されるそうです。回復されて太田裕美さんの、可愛い姿を是非早く見たいですね。

「木綿のハンカチーフ」が100万枚以上の大ヒットにより一躍スターダムにのぼりました。この曲は太田の最大のヒット曲であり、代表曲です。学生時代の思春期の心が揺れる時期に聴いて、心の癒しを感じてました。

 

太田裕美さん 入院!

太田裕美さんは、66歳の時に、乳がんの手術を受けて、病気とうまく付き合って体調を整えていました。そして、2024年に、最先端の脳治療システム(ザップ・エックス)の治療を受けて、入院してます。この治療は、切らずに治す最先端の脳治療です。

2024年のコンサートイベントは、公演中止になってますが、2025年のデビュー50周年を記念するイベントに向けて、太田裕美さんの可愛い笑顔を早く見たいですね。

太田裕美は、「雨だれ/白い季節」でデビュー!一躍有名になったのは「木綿のハンカチーフ」!

太田裕美は、スクールメイツのオーディションを受けて合格する。太田は、ザ・タイガースの沢田研二の大ファンで、大好きなジュリーに会いたい一心でオーディションを受けた。これがキッカケで、渡辺プロダクションの東京音楽学院に入る事となる。

太田裕美は、可愛いくて知的なイメージでしたが、意外とミーハーで親しみやすいですね。

太田裕美は、アイドルを志望していたが、20歳を過ぎてアイドルとして売り出すのは厳しい状況だった為、渡辺プロダクションのプロデューサーが、ピアノ弾き語りで歌うフォーク調の曲で売り出そうという事になったらしい!太田も、「歌謡曲とフォークの、ちょうど中間点、真ん中の活動をしていこうと、決めていた。」と語ってます。

幼少時代から習っていたピアノが生きてますよね。他の歌だけのアイドルとは、一線を画していたと思います。

1974年デビューで、1975年12月に3作目のアルバムからシングルカットされた「木綿のハンカチーフ」が100万枚を超える大ヒットとなり、翌1976年のオリコンチャート週間2位、年間4位を記録した。この曲は、太田の最大のヒット曲であり、代表曲である。作詞は松本隆、作詞は筒美京平。松本隆の出世作ともなった。

「木綿のハンカチーフ」は凄い歌いやすい曲です。卒業シーズンによく歌われてました。(ちなみに、この年の年間1位は子門真人の「およげ!たいやきくん」です。国民的大ヒットでした。)

太田さんは、雑誌インタビューで「吉田拓郎さんや谷村新司さんと仲がいい!」と話しており、それも影響して、フォークファンにも太田の名前が浸透していったようです。アルバム制作も、吉田拓郎や井上陽水を意識して作っていたようで、フォーク調のシンガーとしての地位を確立していきましたよね。他の歌手にない、他と一線を画したシンガーでした。

太田裕美のデビュー迄と、デビューから現在!迄

太田裕美さんは、1955年生まれで現在70歳ですが、8歳の頃からピアノを習い始め、同時期に作曲も初めてしたそうです。凄い音楽的才能ですね。

1973年には、渡辺プロダクションと新人契約を結び、西銀座のライブハウス「メイツ」でピアノ弾き語りをしています。

1974年に「まごころ弾き語り」というキャッチフレーズでデビューし、1975年に、3作目のアルバムからシングルカットされた「木綿のハンカチーフ」が100万枚を超える大ヒットし、翌年のNHK紅白歌合戦に初出場、1980年迄 5年連続出場し続けた。学園祭にも多数出演、「学園祭の女王」とも言われていた。本当に思春期の大学生に受けてましたよね。私も聴いてました。

1982年に、音楽活動を一時休止し、8ケ月間アメリカニューヨークに留学し、留学中も、第4回ニッポン放送青春文芸賞優秀賞を受賞している。

帰国後は、後の夫となる福岡智彦にディレクター担当が替わる。そして1983年以降は、テクノポップ調の曲をリリースするようになる。ニューウエーブ路線への変更である。ディレクターが替わるとこのように曲の路線は変わるんですね。

1985年、ディレクター謙プロデューサーである福岡智彦氏と結婚します。そして2人の男の子を出産し、一時期 育児に専念します。

1996年より、音楽活動を開始し、ライブ活動を始動します。ファンが「木綿のハンカチーフ」に長年深い愛着と思い入れを寄せていたのを知り、「木綿のハンカチーフ」への愛着の心境が太田自身も変化したと、述べている。

2005年、太田50歳の誕生日に、アルバム「RED MOON」を、ニューヨークのレーベル「ツァディク」をリリース。記念すべきターニングポイントですね。

2010年、デビュー時から同時代を活躍して来た、作詞家の松本隆の作家生活40周年コンサートに出演する。

2016年、所属事務所「ボイスアンドリズム」を辞める。マネージャーの勇退と合わせての離脱との事。

2019年、乳がん治療中を公表! 発表するって、勇気が必要ですよね。

2025年現在、36歳と34歳の息子さんがいます。

現在は、夫と2人暮らしです。ご主人は、太田を助け、食事の後の洗い物を手伝ったり、洗濯物を干したり、お風呂の掃除等をしてくれる!そうです。高齢化社会になり、夫婦が協力して生きていくには、必要な事であり、微笑ましい事ですね。

 

 

 

 

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