日本のサマー・ソングのヒットメーカーとして知られている杉山清貴&オメガトライブ。
1983年にデビューし、ライブツァーはたった2回!
7枚のシングルと5枚のアルバムを発表し、活動期間はわずか2年8ケ月で解散!
60代となった今、当時観られなかった人の為に当時の曲をほぼ聴けるライブを!
という思いで活動を再開したんだ。
当時からのファンにとっては、最高に盛り上がる楽しみなライブですね。
オメガトライブのメンバーも一緒に楽しめるんですね。
杉山清貴さんは妻と、若い頃に結婚し今は離婚されてます。
そんな杉山清貴&オメガトライブのメンバーの事などを紐解きたいと思います。
杉山清貴&オメガトライブのメンバーは!

杉山清貴&オメガトライブ
杉山清貴&オメガトライブは1980年代のシティポップを語るうえで欠かせない存在!
オリジナルメンバー(1983年〜1985年)はこの7人!
- 杉山清貴(すぎやま きよたか):ボーカル。バンドの顔であり、透明感ある歌声が魅力!
- 西原俊次(にしはら しゅんじ):キーボード。作曲やアレンジでも活躍。
- 大島孝夫(おおしま たかお):ギター。クールなギターワークが光る!
- 吉田健二(よしだ けんじ):ギター。大島さんとツインギター体制だったよ。
- 高島信二(たかしま しんじ):ベース。グルーヴ感のあるプレイで支えた!
- 鬼頭径五(きとう けいご):ドラム。リズムの要!
- 中村哲(なかむら さとし):サックス・キーボード。サウンドに都会的な色を添えてたね。
このメンバーで『SUMMER SUSPICION』や『君のハートはマリンブルー』など、名曲を次々と生み出したんだ。
1985年に杉山清貴さんがソロに転向して、バンドは解散。
その後は「1986オメガトライブ」や「カルロス・トシキ&オメガトライブ」へと受け継がれていった。
メンバーの現在!
杉山清貴(ボーカル)
今も現役でソロアーティストとして活動を続けている。ライブやアルバム制作も精力的で、「杉山清貴&オメガトライブ」としての再結成ライブも行っている。
西原俊次(キーボード)
作編曲家・プロデューサーとして活動。音楽制作の裏方として、いろんなアーティストを支えてる存在!
大島孝夫(ギター)
音楽業界からは少し距離を置いているけど、再結成ライブなどには参加してる。
吉田健二(ギター)
ギター講師やセッションプレイヤーとして活動していた時期もあった。
高島信二(ベース)
音楽活動の情報はないけど、再結成ライブには参加してる。
鬼頭径五(ドラム)
ドラマーとして活動を続けていて、他のアーティストのサポートやライブにも参加してるよ。
中村哲(サックス/キーボード)
作編曲家・プロデューサーとして大活躍!J-POPの名曲にも関わっていて、音楽業界では超ベテランの存在。
みんなそれぞれのスタイルで音楽と関わり続けてるのが素敵だよね。
杉山清貴&オメガトライブの歴史!

杉山清貴&オメガトライブ
杉山清貴は、1980年、第19回ポピュラーソングコンテストに「GOSPELの夜」で入賞。
ポプコン入賞後、メジャーデビューのオファーを受けていた。
オリジナル楽曲の完成度に納得できず、誘いを断っていた。
トライアングル・プロダクションの社長から声をかけられ、メジャーデビュー!
一流のアーティストは違いますよね。
オメガトライブというバンド名称の名付け親は、ハワイのカリスマDJのカマサミ・コング!
オメガトライブとは「オメガ」(ω,Ω)=ギリシャアルファベットの最後の文字で、「トライプ」=種族を合わせ、「最後の種族」という意味がある。
ネーミング候補の最後の行にあった名前だそうです。
杉山清貴&オメガトライブは、バンドでは無くプロジェクトで、自分達はその一員だった。
面白い流れでネーミングって出来るんですね。いい名前ですよね。
1984年4月、第一弾プロジェクト「杉山清貴&オメガトライブ」として、レコードデビュー!
1985年12月、プロデューサーとメンバーとの方向性の違いにより 横浜のライブを最後に解散。
杉山清貴&オメガトライブは、その当時の作家やアレンジャーが集結したプロジェクトチームとして結成された。
「書いて貰った楽曲を演じていただけなので、逆に苦しかった!」との事。
それに疲れ果てて約3年で解散してしまう。
杉山清貴&オメガトライブのライブ!

杉山清貴
杉山清貴は、「当時は青春真っ盛りという感じでとにかく楽しかった。今もその”楽しい”は続いている。楽しいことしかやらないので」とインタビューに答えている。
杉山清貴&オメガトライブは、メンバー全員が60代半ばとなり「今しかできないという気持ちが強いので、ファイナルツアーと名付けました」と今回のツアーの意気込みを杉山清貴は語っている。
オメガの曲は難しい!
オメガの曲は型がきちんと決まっているから、あの当時の演奏、サウンドでなければきちんと再現出来ず、歌えないんだ。
他のバンドの演奏では、杉山が自由に歌ってしまうので、曲の世界観が全く変わってしまうとの事。
声はでるけど、オメガの声になるのに時間がかかってしまうので、毎回一切気が抜けないライブになる。
杉山の歌はキーは当時と変わらず、メンバーの演奏もまさに“あの音”だ。メンバー全員がオメガトライブを楽しんでいる。
それが音に表れていた。新曲がないことで逆にずっと応援しているファンは、オメガトライブの世界に“浸れる”し、新規のファンも、限りなくオリジナルに近いアレンジを再現しているのでスッと耳と心に入ってくる。
Y!ニュースの記事より
杉山清貴&オメガトライブは青春を全員が楽しんでる。
私達ファンもオメガの曲、杉山さんのあの透き通った歌声を聴けて嬉しい!
杉山清貴Wiki的プロフィール!

杉山清貴
杉山清貴さんは、1959年に神奈川県横浜市に生まれ!
現在65歳です。身長167センチ、血液型はAB型です。
杉山清貴さんの子供時代は、警察官の父親と、日本舞踊の師匠をする母親のもとで育った。
小学4年生の頃、ビートルズのアルバムを聞いて衝撃を受け、特にビートルズの「イエスタデイ」が大好きで、ジョージ・ハリスンに憧れていたんだ。
お小遣いを全てビートルズに注ぎ込み、レコードや訳詞集を買って読み込み自らも作詞を始めた。
そしてギターを買って練習を重ね作曲にも挑戦し、中学の頃に初めてとなるオリジナル曲「ことほどさように」を作る。
杉山清貴さんは、早い時期から才能を発揮して凄いですね。
杉山清貴さんは、作曲するにあたり フォーク音楽の井上陽水や吉田拓郎などにも影響を受けた。
また、佐渡山豊が沖縄語で唄う「ドゥチュイムニィ」に多大なる影響と刺激を受けたんだ。
杉山清貴さんは10代からバンド活動を始め、ビートルズのコピーバンドを結成した。
高校2年生の時に、他のバンドLAMBのヴォーカリストとして誘われ地元のライブハウスに出演し始める。
高校を卒業する頃には、杉山さんの澄んだ伸びやかなヴォーカルは、地元アマチュアミュージシャンの間では有名だった。
進む道は自由に選べ!
父親から「進路は好きな道に進んでよい。ただし家を出て自力で生活をしろ」と助言を受けて、高校在学中にライブハウスでバイトしながら、アパートで一人暮らしを始めるんだ。
お父さん、流石ですね。これが杉山清貴さんを育てたんですね。
成人後、R&Bやブルースに傾倒し「自分の声がキレイ過ぎる」と、酒を浴びるほど飲んでタバコを吸い、声を潰そうとした。
でも すぐに元の声に戻ってしまうことを繰り返して、結果どんどん喉が強くなって行ったんだって。
本当に歌手になる為に生まれてきた方なんですね。
杉山清貴は若い頃に結婚!

杉山清貴と奥さん
杉山清貴さんは、1985年に元歌手の柳沢裕子さんと結婚し、翌年娘の「まほ」さんが誕生!
家族3人で、ハワイ オアフ島のハワイカイという高級住宅街に移住し生活をしていたんだ。
1992年にはアメリカ永住権を獲得し順風満帆だったんだよね。
音楽活動は、ハワイと日本を行き来しレコーディングはロスアンゼルスで行うというグローバルな活動をしていた。
そして離婚へ
離婚する事となった杉山さんは日本に戻り、奥さんと娘さんはアメリカ本土に残る事になる。
取得したアメリカ永住権は2006年に返納している。
杉山清貴さんは2006年にハワイを引き払った後、2025年現在は鎌倉に住んでいるとの事。
杉山清貴 まとめ

杉山清貴
杉山清貴さんは、杉山以外のメンバーが一般人の為、自分のこと以上に、「みんなの体力が、大丈夫かなあ」と心配しつつも、時代の流れに呼ばれてのライブは楽しそうです。
7月で65歳になる杉山の歌声は爽やかで、時の流れを感じさせない。だが当人は「大変です」と苦笑する。「オメガはボーカルもサウンドの一部になってキチッと歌わないといけない。リハーサル最初の4日ぐらいは喉の使う場所を探り、やっと確信が持てた」
読売新聞オンラインより
オメガトライブ のファンは、ずっと杉山清貴を待っていた。帰ってきてくれて有難う!と言いたい。
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