山下久美子は、1980年に「バスルームから愛をこめて」でデビューし、1982年の「赤道小町ドキッ」が大ヒットし、ロック系ポップスで、数々のヒット曲があります。そして現在もライブ活動を続けています。1959年生まれ、現在66歳です。山下のコンサートは、会場に来ているお客さんが全員立ち上がって盛り上がる事から、山下久美子”総立ちの女王”と言われ、今だに健在です。
山下久美子と布袋寅泰は、1985年に結婚し、1997年に離婚しています。12年の結婚生活でしたが、離婚の原因は、布袋寅泰と今井美樹の不倫で、今井美樹の略奪愛と言われています。
山下久美子と今井美樹は、かつては非常に仲の良い友人関係でした。
山下久美子のプロフィール! 活動の経歴と歴史
1980年、博多のクラブのステージで歌っていた山下久美子は、渡辺プロダクションにスカウトされて、山下が21歳の時に、日本コロンビアから「バスルームから愛を込めて」でデビューしました。
1982年、「赤道小町ドキッ」が大ヒット!この曲は、化粧品会社による季節キャンペーンCMイメージソングでした。(作詞:松本隆、作曲:細野晴臣)TBSテレビ「ザ・ベストテン」の今週のスポットライトで、初出場しています。
1985年、BOOWYのギタリストだった布袋寅泰と結婚します。山下の一目惚れでした。
1992年、フジテレビ系のテレビドラマ「わがままな女たち」に初出演し、女優業に挑戦する。1996年には、TBS 系のテレビドラマ「その気になるまで」に、離婚歴のあるキャリアウーマン役で出演。
1997年、布袋寅泰と今井美樹との不倫をきっかけに、布袋と離婚する。
2000年、シングルマザーとして、双子の姉妹を出産した。子供の父親は、久しぶりに再会した独身の知人だが、山下はシングルマザーを選択して育てる事を決意します。
2025年、双子の「ひかり」ちゃんと「あかね」ちゃんは、25歳となっています。
山下久美子の意志力のある生き方や自分で人生を考えて行動すること等、自分の人生に責任を持って選んでいる事に、大いにリスペクトします。
山下久美子と布袋寅泰との出会いと別れ!そして今井美樹は仲の良い友人だった。
山下久美子と布袋寅泰の運命的な出会いは、1985年の夏、BOOWYがブレイクの段階に足をかけ始めた頃に、山下のアルバム「BLONED」のレコーディングにゲストギタリストとして参加したことがキッカケである。その当時は まだ無名だった布袋は、ギタープレイで山下の心を、鷲づかみしてしまいます。山下の一目惚れである。
「すっげえいいんだよっ、ぜひ聴いてみて」そして、硝子の向こうで彼が最初の音を出した、その瞬間、私は恋に落ちたのだと思う。すごいっ、なんて音なのっ!
彼のギターには、瞬時に人の心を鷲づかみするかのような、とてつもない情熱があった。 どこかに怒りを含んでいるかのような、哀しみを知るような、それまでに遭ったことのない音だった。
私だけではなく、居合わせたスタッフ全員が色めきたった。やがて、椅子に腰かけ、何やら弾きづらそうにしていた彼が突然、ガッと立ち上がって弾き始めたときには、スタジオ内 が騒然となってしまった。まるでライヴの会場のように。スタジオの中で立って弾くとい う技をやってのけたのは、たぶん後にも先にも彼ぐらいなものだろう。
と、山下の「ある愛の詩」の本の中に書いてあります。
布袋も、山下に100本の薔薇の花束をプレゼントするなど、マメな性格を遺憾なく発揮し、2人は、短期間のうちに激しく燃え上がり、翌月には、山下のマンションで、同棲が始まる。そして、半年後の1986年、山下の27歳の誕生日の次の日に結婚式を挙げた。感激のあまり結婚式で号泣する布袋氏の姿は、あまりにも有名である。
山下と布袋が付き合い始めた直後、BOOWYはツアーで全国を回っていたが、山下はツアー先の京都まで布袋を追いかけて行った!というエピソードもある。布袋も京都公演終了後、山下を「彼女」としてBOOWYのメンバーに紹介している。
布袋の山下に対する独占欲と嫉妬心のエピソードは数知れない。2人とも酒豪であり、いつも売り言葉に買い言葉で、激しい夫婦ケンカを繰り返し起こし、布袋さんが、怒りにまかせてマンションの6階から服を全部投げ捨てたり、山下が肋骨を折ったり、布袋自身も骨折をしたりと、壮絶なケンカを繰り返していました。
特に若い彼に至っては、嫉妬心においても尋常ではなかった「レッドシューズ」で呑んでいたときに、昔のボーイフレンドが入ってきたというだけで喧嘩になったり、たまたま居合わせた吉川が仲裁に入ると、今度は彼らが殴り合いを始めたりする始末だった。
山下の自伝「ある愛の詩」より抜粋
今井美樹は、山下久美子に憧れており、当時は山下のサポートメンバーのドラムスと交際していた事もあり、山下と今井は若い頃は、何でも話し合える親友同士のような関係であった。
山下と布袋 2人の関係は、布袋さんの嫉妬心や激しい感情、BOOWYが売れた事での立場の逆転、ロンドンと東京のすれ違い生活等、そして今井との不倫恋愛が、離婚の決定打になりました。
1993年頃、布袋寅泰はロンドン長期滞在で、事実上の別居生活に入ります。アルバム「GUITARHYTHMIV」のレコーディング中です。この頃、布袋と今井美紀の不倫交際が始まります。
今井美樹は、離婚届のポスト投函や、今井が、山下に嫌がらせの電話をしたり、と3人の関係が泥沼化し始めました。
1994年には、布袋と今井の不倫交際が始まっていたにもかかわらず、布袋が山下に「家を建てよう」と言い出し、翌年2月に南青山に、地下スタジオ付きの新居が完成された。
1996年、布袋は、自宅の地下スタジオのピアノで、一晩で一気に書き上げたのが、今井美樹への曲「PRIDE」でした。完成直後のデモテープを、山下が聞いてしまい、山下は離婚を決意します。
1997年、山下は離婚を言い渡します。2人の間には子供はなく、南青山の自宅を「この家だけくれたら、他は何もいらない」と財産分与として受け取ったという事です。
山下と布袋は、今井がキッカケで別れましたが、壮絶なケンカをしていた夫婦生活を考えると、どんなに愛しあっていたとはいえ、別れたほうが、今はお互いに豊な人生を歩んでいるように思います。改めて、布袋は山下に、差し上げる気持ち!で南青山に家を建てたのでは?と思います。これは、布袋の別々の道を歩む山下への「愛」だと思います。
山下久美子の娘の存在の影響!そしてアーティストとしての生き方!
山下久美子にとって娘達とは、アーティストとしての活動と共に、双子の娘達は大切な存在であり、娘達との絆を育み、共に成長してきた25年です。娘達が成人を迎えた2020年の節年に、ENCOUNT.pressの記事に、母として、娘達との絆を深め、共に成長してきた20年を振り返った思いを独白してます。それが、アーティストとしての山下の魅力になっているのでは、と思います。
山下久美子は、布袋が来日したデビットボーイと一緒にステージに立った姿を見た時に、複雑な思いの中に、凄く誇らしく嬉しかったと綴っています。別れても最後まで憎み切れない気持ちがある、と。山下の人間味を感じる言葉ですよね。
今後もこの想い出と共に、共に成長して来た2人の娘達と、アーティストとしての山下久美子のステージに注目したいですね。
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