小椋佳ってご存知ですか?
東京大学法学部卒で、銀行員のエリートコースをたどりつつ
布施明や美空ひばり、五木ひろし等、名だたる歌手に、素敵な歌を提供し続けたアーティストです。
そんな小椋佳さんの長男の学歴や、次男の琵琶職人について、また初恋の妻との物語と
小椋佳さんの現在をリスペクトして行きたいと思います。
小椋佳 長男の学歴

小椋佳(オグラ ケイ)さんは、息子さんが2人いらっしゃいます。
小椋佳さんの長男、神田知秀さん。1969年生まれで、現在は57歳になります。
知秀さんは一般人のため、学歴などの詳しい情報は残念ながら公開されていません。
小椋佳さんが、東大大学院卒のエリートコースを歩いて来たので、息子さんも著名な大学を卒業されている事と思います。
知秀さんは、今 小椋佳さんのマネジメント会社「株式会社ゴッド・フィールド・エンタープライズ」の代表をしています。
父、小椋佳さんのマネージャーもしていました。
知秀さんは、音楽関係には進まなかったようです。
小椋佳さんの2021年からの最後のコンサートツアー『余生、もういいかい』の最終日に、知秀さん自身の家族と共に最後の舞台を見に行きました。
父親の小椋佳さんの最後のステージ姿は、感無量だった事でしょうね。
知秀さんは、 小椋佳さんが大きな病気を経験した時も、親である小椋佳さんをきめ細かくフォローし 気遣い心配しました。
裏方として、父親を尊重しながらサポートしていました。
親子の絆や、親子愛を感じますね。
小椋佳の次男は琵琶職人!

次男の神田宏司さんは14歳の中学生の時に「若年性脳梗塞」を発症してしまい、全身不随になってしまいました。
脳梗塞って若い人にも起きるんですね。
寝たきりの 宏司さんに病院で、小椋佳さんは、「あなたが美しいのは」を枕元で歌って上げたそうです。
そしたら 宏司さんが少し動いて反応してくれたそうで、それから小椋佳さんも植物人間の次男への希望が出てきたのです。
その後リハビリを続けた結果、奇跡的な回復をされました。
小椋佳さんの深い愛情が、植物人間から宏司さんを蘇らせたんでしょうね。
快復されてから、「琵琶を弾きに行かないか?」と宏司さんを誘ったそうです。
それから宏司さんは、琵琶に興味を持ち、琵琶職人の道へ歩み始めたとの事。
今は、一流の琵琶職人として活躍しています。
日本に2人しかいない希少な職人の1人なんです!
初めて作った琵琶をお父さんに贈ったエピソードは心温まりますね。
小椋佳さんへの、深い愛情と感謝をかんじますよね。
小椋佳さんのお父さん、宏司さんのお祖父様ですが、琵琶をやっていらっしゃいました。
小椋佳さんと 琵琶の縁を非常に感じますよね。
次男、宏司さんの奥様は、琵琶演奏者の亜矢子さんとの事。
小椋佳さんのステージでも演奏をし、琵琶奏者の第一人者であり 凄い実力のある人で、とても美しい方です。
小椋佳の妻は初恋の人?

台東区立黒門小学校1年生のとき、隣の席に座っていた塚原佳穂里さん(現在の神田桂穂里さん)に恋をしたのが始まりでした。
ずっと相手にされず、中学生の時から佳穂里さんへの恋心を綴った日記を書いていたそうです。
それが、シンガーソングライターへの道へ繋がったなんて凄い純真さとエピソードですね。
この恋心が、みんなの心に染みる素敵な曲が創れるルーツなのだと思うと感動します。
佳穂里さんは成績優秀で、学校のマドンナのような存在でした。
小椋さんは佳穂里さんに振り向いてもらいたくて、必死に勉強して成績を上げたそうです。
そして、ついには東京大学に合格!
その後、交際が始まり、1968年に結婚に至ります。
中学生の頃から佳穂里さんへの想いを日記に綴っていたその純粋で真っ直ぐな気持ち!
それが、のちの名曲に繋がっていく運命だったんですね。
小椋佳のWikiプロフィール

小椋佳さんは、日本のシンガー・ソングライターです。
小椋佳さんの父親は再婚、母親は再再婚だったそうです。
お父さんは琵琶を、お母さんは小唄を習っていたそうです。
両親のDNAを小椋さんもしっかりと受け継いでますよね。
経歴
1971年に歌手としてデビュー!
銀行員からのデビューって凄いですね。
銀行員としてのエリートコースを歩みながら、デビューから20年以上もの間、ほとんど表舞台に出ずに、素敵な楽曲を色々な歌手に提供し続けた小椋佳さん。
銀行を退職した後に東大文学部大学院に入り直して卒業している事も凄いです。
勉強をする意欲とプロ意識が強い小椋佳さんは、色々な事への興味への追求と実践がプロフェッショナルですよね。
東京大学時代
大学時代に「生きた証に何か創造的なことをしたい」と思ったそうです。
そこで音楽活動の一環で、他の人のコンサートや芝居、映画を見たりしていました。
その中で、寺山修司の舞台に凄く感銘を受け、その後の芸能への道に繋がっていきます。
東大法学部を卒業後は、銀行員としてエリートコースを当然歩いていました。
エリートは約束された道だったと思います。
一つの道を極めたは人は、他の道でも極める事が出来るという小椋佳さんの凄さですね。
小椋佳さんの純真な人間性も個人的には感じます。
道を極める人の特徴なんですね。
デビューの経緯
小椋佳さんの声のイメージは、15~6歳の美少年です。
見かけと大分違う小椋佳さんに周りは戸惑っていました。
小椋佳さんお曲や、歌声があまりにも素晴らしくデビューのきっかけになった曲が、「しおさいの歌」です。
ビジュアル優勢のあの時代に、あまりの曲の出来栄えと声の透明感にデビューが決まったなんて!
本当に素晴らしかった証拠ですね。
普段も家族からは、「変な顔」って言われていたそうですよ。
でも 第一線で活躍するという類まれな凄い才能を持っていた小椋佳さんです。
「揺れるまなざし」が生まれた背景
銀行員時代の小椋佳さんの顧客に、資生堂の当時の宣伝部長がいて、CMソングを依頼されたそうです。
それが資生堂の初のCMキャンペーン「ゆれる・まなざし」
この曲がCMソングの先駆けになったそうです。
それからの資生堂は、曲とのイメージ創りを重視するようになっていきました。
「揺れるまなざし」は本当に素敵な曲とCMでした。
引退する迄
小椋佳さんが銀行を退職したのは、1993年10月5日です。
49歳で第一勧業銀行を退職し、50歳でコンサート活動に入ります。
小椋佳さんは、2021年にデビュー50周年を迎え、引退コンサートツアーで、芸能界を引退しました。
小椋さんの才能は、本当に素晴らしいですね。
小椋佳の現在は病気なの?
2000年に、たまたま受けた人間ドックで、胃がんの早期発見されました。
小椋佳さん57歳の時です。
それ迄は、タバコ1日40本、体重80キロという巨漢でした。
小椋佳さんは、胃がんの大手術で九死に一生を得ます。
早期発見だったのですが、胃の4分の3を切除したとの事。
その後「食欲もわかず 自然に過剰ぎみの体重も落ちて丁度良かった!」と小椋さんは、言っています。
今は再発もなく、健康な生活に戻っているようで、良かったですね。
まとめ
小椋佳さんは、芸能生活50年の間に、美空ひばりさん、布施明さん等、色々な著名な歌手に楽曲を提供し続けました。
CMソング等幅広い活躍と、才能を発揮した数少ないアーティストです。
そして小椋佳さんは、私達に感動と癒しの名曲を創り続けてきたアーティストでもあります。
今だに名曲の数々が残り続けていますよね。
これからも、小椋佳さんの名曲の数々を聞き続けたいと思います。
最後迄お読み頂きありがとうございました。
