ガロの名曲「学生街の喫茶店」って知ってるかなあ?
1972年にリリースされたシングルで、ガロ(フォークグループ)最大のヒット曲なんだよね。
1970年代の学生の文化を象徴する 時代背景も含んでいる 昭和の象徴的な代表曲なんだ。
あの当時テレビからいつも流れて来ていたんだよね。
この時代に、音楽を目指しているシンガー達は必ず聴いていた ボブディランもよく喫茶店で流れていたよね。
そういった背景を紐解きながら、ガロのフォークバンドをリスペクトして行きます。
ガロ フォークグループメンバーのWiki風プロフィール
ガロは、1973年に、「学生街の喫茶店」「君の誕生日」「ロマンス」とヒット曲を発売したフォークグループ!
ガロのメンバーは、堀内護(マーク)、日高富明(トミー)、大野真澄(ヴォーカル)の3人グループで、デビュー!
全員がギターとボーカルを担当するというスタイルで、凄く斬新だったと個人的に思う。
1976年に音楽的な見解の違いから3人は解散してしまうんだよね。その後の活動はどうなったのかな?
ガロ 堀内護(マーク)、1949年生まれ、65歳で没
マークは、東京都出身で、多摩美術大学中退です。5人兄弟の末っ子だった。
松崎しげると日高富明と共に「ミルク」というGSバンドの出身!
その後の「ガロ」の結成に繋がって行く。
マークは、一時期音楽活動を休止し、オートテニス場を経営して実業家として成功を収めたんだ。
でも、音楽への情熱を捨てきれず、再びライブハウスでの演奏活動を開始。晩年までアコースティックな温かい音楽をファンに届けてくれていたのですが。
2014年に、胃がんの為、65歳でこの世を去ってしまった。
ガロの「学生街の喫茶店」は、時代を象徴する曲として多くの人に愛されている!
マークの早すぎる旅立ちは個人的にはとても残念ですが、マークの創造的な魂は今も音楽を通して生き続けていると私は思います。
ガロ 日高富明(トミー)、1950年生まれ、36歳で没
トミーは、東京都出身で、日本大学芸術学部卒業!
高校時代からの友人の松崎しげると「ミルク」というバンドを組んで活動していた所、堀内護と知り合い、ガロの結成に繋がっていく。
トミーは、自分の理想とするロック志向を追求し続けたものの、大衆的な成功は得られなかった。
酒やタバコに頼り、苦しい時期を過ごしたんだ。しかし、彼は最後まで音楽への情熱を失わなかったといわれてるが。
1986年、トミーは自宅近くのマンションから転落死しました。
肝臓を病んでいたとの事、36歳でした。若かったなと私は思う。
トミーの36歳という若さでの別れは、私は胸が痛む。
トミーの人生が短くとも、その音楽は今でも響き続けていると個人的には感じている。
ガロ 大野真澄(ヴォーカル)、現在も活躍中
ヴォーカルこと 大野真澄さんのみが現在活躍中!
ヴォーカルは、1949年、愛知県出身!
ソロアーティストとして活動を続けるだけでなく、作詞やプロデュースの分野でも活躍している。
特に作詞の才能は高く評価され、音楽業界でも重要な存在になっているよね。
大野さんは、色々なアーティストと付き合いが広く、以前、西城秀樹さんに、マークと共に楽曲を提供したりと、活動を続け、THE ALFEEとも深い関係!
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デビュー当時のAlfie(現在のTHE ALFEE)は同じ所属事務所で弟分的な位置付けであった。ガロのライヴのスタッフを ALFEEが務めたり、前座を行ったこともあった。THE ALFEEもCSN&Yの影響下にあるバンドである。
- 1980年代に、堀内と日高と二人でライブ活動を行った際、日高が欠席時に、後輩の坂崎幸之助が代役を務めたことがあった。
- THE ALFEEの2015年にリリースのアルバム『三位一体』に収録の「碧空の記憶」では、ガロへの敬意を示しており、ライナーノーツには、「With our respect to GARO」と記載されている。2021年にリリースのシングル『The 2nd Life-第ニの選択-』のカップリングの「光と影のRegret」にも同様に記載されている。
- THE ALFEEの2019年の春ツアーのパンフレットの付録のトークCDでは、再デビュー前に、堀内と大野にバックバンドでお世話になった旨を明かしている。
- 出典元 『ウィキペディア(Wikipedia)その他のアーティストにもガロからの影響は大きいですよね。
その他のアーチストへの影響もある
南こうせつは、かぐや姫を結成する際に、GAROから影響を受けたとアルバム『フォーク・ソング』のライナーノーツに書かれている。
出典元 『ウィキペディア(Wikipedia)
大野真澄さんの音楽は、深い感情と詩的な表現を通じて、リスナーに特別な印象を与えて来た!と個人的には思う。
今 大野真澄さんは、伊勢正三さんや太田裕美さんと「なごみーず」で、ユニットを組んで活動中!

この3人は、面白いユニットだけど、太田裕美さんが今体調不良で休んでいるよね。早く復帰して欲しいと、個人的に思う。
ガロの名曲「学生街の喫茶店」とは?
ガロは、1970年に結成し、1972年にリリース時は「美しすぎて」のB面が「学生街の喫茶店」でした。セカンドアルバムからのシングルカット盤!
TBSラジオで、「学生街の喫茶店」が選ばれ流れた事で、そこから最大のヒット曲に繋がって行った!
1973年には、オリコンチャートで7週間連続1位、年間チャートで3位、フォークソングのシングルでは歴代6位、77万枚の売り上げ!
凄いヒットだった。私の幼稚園時代の約50年前のヒットですが、今だにメロデイが頭の中に、ぱッと浮かんで 出て来るんだよね。
ガロは「学生街の喫茶店」などの名曲を通じて、フォークロックの分野を日本で広め、世代を超えた影響と懐かしい共感を呼び起こして、人々の心に刻まれていると個人的には思います。
たまに口ずさんでます。それくらいリズムや歌詞のメロデイが哀愁と切なさや”懐かしみ”を誘います。
ガロの名曲学生街の喫茶店が生まれた背景は?
「学生街の喫茶店」は、作詞:山上路夫、作曲:すぎやまこういち、プロデュース:ミッキー・カーチスです。実績のある そうそうたるメンバー。
楽曲の舞台となった喫茶店は、東京お茶の水の中央大学付近の喫茶店との事。
歌詞を聞いて想像すると、風景が浮かんで来るのは私だけでは無いと思う。
その喫茶店で、ボブディランが流れていたんだよね。
ボブディランは、ビートルズと共にあの時代のシンガーが、リスペクトしていた偉大な二大アーティスト!
ボブディランとビートルズは、音楽アーティストだけではなく、私達にも憧れに似た共感を呼んでくれる音楽の神様的存在なんだよね!
そしてガロは、第24回紅白NHK紅白歌合戦にも選出する。当時はフォークバンドが選ばれるのは、非常に珍しい事だったと私は思う。
「学生街の喫茶店」は、音楽教科書にも掲載されるぐらい、凄いヒットだった。
1972年に発売された「学生街の喫茶店」は、50年以上たった今でも、メロディの流れや、曲調の展開が、今だに新鮮で、覚えやすくて、口ずさみやすい。
「学生街の喫茶店」歴50年の私の大好きな歌。これからも思い出し 口ずさんで行きたいと思います。
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