矢沢永吉さんは、日本のロック界を代表するカリスマ的存在!
1970年代にバンド「キャロル」でデビューし、その後ソロとしても圧倒的な人気を誇り続けている凄いアーティスト!
矢沢永吉さんのライブは“伝説”と称されるほど熱狂的で、武道館公演は157回という驚異的な記録を持っていて、伝説を超えているんだよね。
矢沢永吉さんは、2回の結婚をしているのは有名で、それぞれの愛を貫いている!と私は思う。
最近では、イチロー氏との対談番組「俺たちの失敗」でも、35億円の借金を背負った過去を語りながらも、再起して今なおステージに立ち続ける姿が感動的!
そんな大好きな矢沢永吉さんを紐解きたいと思います。
矢沢永吉の結婚は2回!
矢沢永吉さんの人生もまさに“ロック”そのもので、波瀾万丈でドラマチック!だよね。
矢沢永吉の1回目の結婚はすみ子さん!
1972年、矢沢さんが23歳、すみ子さんが20歳の頃に、ディスコのバンド演奏していた店で、客として訪れていたすみ子さんに矢沢さんが一目惚れ!
その夜、矢沢さんは「結婚前提で付き合ってくれ」と告白し、すぐに同棲が始まった。
出会って2ヶ月で結婚するという“秒殺の一目惚れ”だったなんて、凄いストーリーだよね。
すみ子さんも矢沢さんに、ビビビッと来たんだと私も思う。
矢沢さんの言葉が凄い!
「ディスコに来たマブイ女、それが女房だった。結婚前提でつきあってくれ。出会ったその夜に言った。同棲が始まった」
そして1972年、22歳のときに銀行員のすみ子さんと結婚!
当時の矢沢さんは無名でお金もなく、結婚指輪は矢沢さんの母親が買ってくれたそう。
でもその後、キャロルでブレイクし、すみ子さんとの生活が彼の原動力になったのは間違いないよね。
矢沢永吉の最初の離婚!
1989年に離婚。理由は不倫とされ、後に慰謝料としてポルシェ3台分(約4500万〜6000万円)を支払ったという逸話も残っているよね。
矢沢さんとすみ子さんの結婚生活は、17年で終止符が打たれてしまったね。
矢沢さんとすみ子さんの離婚後の歩みは、静かでありながらも深い余韻を残すものだと私は思う。
矢沢永吉1989年にすみ子さんと離婚後も関係は完全には断たたず!
離婚の理由は、音楽活動への没頭と価値観のすれ違い、そしてマリアさんとの関係だった。
離婚後も矢沢さんはすみ子さんを関連会社の役員として留めるなど、一定の関係を保ち続け生活の保障を心配したのは、流石だと思う。
矢沢さんの愛を感じてしまうのは私だけじゃないと思う。
矢沢永吉の別れた妻、すみ子さんの死去の噂!
2008〜2009年頃に亡くなったという未確認の情報があるけど、公式には発表されていない。
矢沢さんがメディア出演を控えた時期と重なるため、ファンの間では「すみ子さんの死去が影響したのでは」と噂されていたよね。
矢沢さんの回想に滲む後悔と感謝の気持ち!
「何度も戻りたいと思った。川崎で肩寄せ合って暮らしていたあの頃が、最高だった」
この言葉からも、すみ子さんとの日々が矢沢さんの人生にとってどれほど大切だったかが伝わってくるんだよね。
矢沢さんは、前妻・すみ子さんへの感謝を公言しており、「何度も戻りたいと思った」と語るその人間味がまた矢沢さんの魅力なんだよね。
音楽の成功の裏に、支えてくれた人への深い思いや、愛がある!と感じるのは、私だけではないと思う。
矢沢永吉の2回目の結婚はマリアさんと!
矢沢永吉さんとマリアさんの2回目の結婚は、まさに“運命的”とも言えるドラマが詰まっている。
出会いは1977〜78年頃。場所はロサンゼルス説と青山のバー説があり、どちらも“矢沢さんらしい”舞台だよね。
当時、矢沢さんはすみ子さんと婚姻中で、マリアさんも前夫(ファッションデザイナー)と生活していたとされている。
マリアさんはアメリカ人クォーターの元モデル!
最初は「良き相談相手」だったマリアさんが、徐々に矢沢さんの心の支えになっていった。
すみ子さんとの婚姻中にマリアさんとの間に子供が生まれており、離婚のきっかけにもなったよね。
1989年にすみ子さんと離婚後、翌1990年にマリアさんと再婚。式はアメリカ・カリフォルニア州で挙げたんだよね。
マリアさんは元モデルだけど、飲食店経営などもしていた実業家というやり手!
料理上手で家庭的な一面もあるから、矢沢さんから見たらマリアさんは、凄く魅力的に映るのは間違いない!と私は思う。
矢沢さんとの結婚生活は、34年以上連れ添い、矢沢さんの人生の“第2章”を共に歩んできたマリアさん。
マリアさんは表舞台には出ないけど、彼の音楽と生き方を支える“静かなロック”のような存在なんだと思う。
矢沢永吉の2回目の嫁マリアの言葉が35億の借金返済の原動力に!
1998年、矢沢さんが35億円の詐欺被害に遭った際も、マリアさんが精神的に支え続けたよね。
まさに“ヤザワ伝説”の一部!矢沢永吉さんがオーストラリアでのスタジオ建設に絡む横領事件で、約35億円の借金を背負ったのは1998年の事だったんだよね。
そのときの精神的な苦しみは計り知れず、矢沢さんは「もうダメだ」と思った瞬間は何度もあったそう。
彼が酒に溺れていた時期、マリアさんはこう言ったそうです。
「もうお酒は十分飲んだでしょう? 本気を出せば、あなたならこの額を返済できるわ」
この一言が、矢沢さんの心に火をつけたと言ってるんだよね。
矢沢さんは「これはまるで映画のワンシーンだ」と感じ、そこから立ち上がる決意を固めたそう。
矢沢さんを支えたのは、“ヤザワ魂”だけではなく、マリアさんが「大変なお金だけど頑張ろうよ」という言葉が矢沢さんの背中を押したと語っているんだよね。
マリアさんは元モデルでありながら実業家としても成功している芯の強い女性で、ただの励ましではなく、現実的な視点と信頼に満ちた言葉だったのが、矢沢さんの心にも火が付いたのだと思う。
この言葉がなければ、矢沢さんの“伝説の返済劇”は始まらなかったと私は思う。
まさに、マリアさんの言葉は人生のどん底で差し伸べられた“救いの手”だったんだよね。
マリアさんのその一言、「返せるよ!」「 よし、返すよ!」と覚悟を決めたと矢沢さんは振り返っているんだよね。
そして矢沢さんはその借金を6年かけて完済。これは驚異的なスピード!だったよね。
自己破産せずに返し切ったことで、世間の見る目も変わり、「ヤザワ、やるねぇ」と称賛されたそう。
マリアさんの存在が、ただの伴侶ではなく“人生の伴走者”だったというのが、なんとも胸を打つ瞬間だよね。
失敗を乗り越えた男の背後には、静かに支える強い女性がいた——そんな物語を感じる。
矢沢永吉のビジネスマインドが凄い!
矢沢永吉の「俺たちの失敗」矢沢×イチロウの対談
矢沢さんは、オーストラリアでのスタジオ建設をめぐる横領事件で35億円の借金を背負った過去を告白。
「もうダメだと思った」と語りながらも、そこから立ち上がり、武道館157回、新国立競技場12万人ライブ、そして76歳で東京ドーム公演へ挑戦する姿はまさに“挑戦のロックスター”!だと私も思う。
「止まったら死んでしまう」
この言葉に、イチローも深くうなずいてたんだ。
この対談、ただのスターインタビューじゃなくて、人生の本質に迫る“希望の物語”だったよね。
矢沢永吉は自分の会社で全てを一括管理!
矢沢さんは、著作権ビジネスの確立や電子チケット導入など、全て自分の会社で一括管理している。
矢沢さんは「夢だけじゃ駄目!」と語り、欲と直感のバランス感覚を持って時代を読む力が必要である事を強調しているよね。
特に著作権に関しては、業界のタブーを打ち破るような姿勢で、自身の権利をしっかり守るビジネススタイルを築いてきた所が本当に凄い!
ちなみに、矢沢さんの公式サイトでは、著作権・肖像権・パブリシティ権・商標権などの権利を厳格に管理していて、無断使用には法的措置も取る方針を明示してるんだ。
矢沢さん自身が使っていたE・YAZAWAのロゴデザインのタオルのグッツ販売など、先駆者的ビジネスを始めたのも矢沢さん!
あの時代はアーティストがそこ迄出来ない時代!そこを立ち上げ成功させる事が出来た、矢沢さんのビジネスマインドは本物だなあと本当に思う。
このあたり、まさに“YAZAWA流”のセルフブランディングと権利意識の高さが光ってるね!と私は思う。
矢沢永吉の子供は何人?
矢沢永吉さんには、合計6人の子供がいるんだよね。
前妻・すみ子さんとの間に3人
息子2人(栄一郎さん、寛十郎さん)、娘1人(綾子さん)
現在の妻・マリアさんとの間に3人
息子2人(名前は非公開ですが、優輔さん・大輔さんという噂あり)
矢沢永吉の娘、矢沢洋子さん:歌手として活動中!
洋子さんは特に有名で、父・永吉さんと同じく音楽の道を歩み、親子共演も果たしているんだよ。
そして洋子さんに、2021年に第一子となる女の子が誕生し、その後もう一人産まれて2人いるのが、インスタに投稿されていたよね。
このことで、父・矢沢永吉さんは晴れて「おじいちゃん」!
なんという”ロックでカッコイイおじいちゃん”なんでしょうか!
矢沢永吉さんの伝説の一部を紹介しました。愛に溢れる矢沢永吉さんのロック魂に、心を揺さぶられるのは、私だけじゃないと思う。
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