ゴダイゴは、1978年放送の日本テレビ系のドラマ「西遊記」の音楽を担当し、大ヒットを記録してスターダムに乗った。ホント凄かった!
今年も2025年09月18日(木)に愛知県名古屋市で、ゴダイゴライブやるので、楽しみ!
レジェンド・ロックバンド、ゴダイゴが、デビュー50周年記念のホームページを開設し、2025年8月9日正午にオープン(期間限定)するんですって。これで最新情報を発信するらしい!
ゴダイゴの作曲は、ほとんどがタケカワユキヒデさんです。
ミッキー吉野さんが、アレンジの全てを行っており、ゴダイゴのプロデューサー的な役割!そのゴダイゴのベースギターとして支えていたのが、今は亡き浅野孝巳さんです。
ゴダイゴ タケカワユキヒデさんとミッキー吉野さん!浅野考巳さんとの深い繋がりと思いを紐解きたいと思います。
ミッキー吉野の戦略で、ゴダイゴのヒット曲を作り出し美しいメロディーを奏でるタケカワ!それを支えたベースギターの浅野!
1975年、ミッキー吉野さんとスティーブ・フォックスが在籍していたバンド「ミッキー吉野グループ」に、ソロで活動していたタケカワユキヒデさんがボーカルとして入り、浅野孝巳さんと原田裕臣さんを誘って、「ゴダイゴ」を結成しました。
1976年デビューの「GODIEGO」、英語の「GO」生きて、「DIE」死んで、「GO」また生きる。という不屈の精神や輪廻の思想を表しています。
それだけ深いネーミングだったんですね。
1978年に、テレビ番組 日本テレビの「西遊記」で、オープニングテーマ「モンキーマジック」、エンディングテーマ「ガンダーラ」を発表し、2曲同時に7週間にわたりトップ10にランクインしてます。
1979年に、ユニセフ国際児童年協賛局の「ビューティフル・ネーム」、同名映画の主題歌「銀河鉄道999」、西遊記Ⅱのエンディングテーマ「ホーリー・アンド・ブライト」を発表してます。
所属した日本コロンビアの経常利益は、前年の倍増で、47億円だったそうです。
倍以上の経常利益なんて本当に凄いですね。とても口ずさみやすく、本当にいい曲でした。
ミッキー吉野とタケカワユキヒデ、ゴダイゴのギタリスト浅野孝巳を悼む深い思い出!
ゴダイゴのギタリスト!浅野孝巳さんは、2020年5月に、虚血性心不全で倒れ、都内の自宅で亡くなりました。68歳でした。
浅野さんは、立教小学校5年からギターを始め、私立聖学院高校に入学後、萩原健一さんと知り合いになり、ザ・テンプターズがレギュラー出演していたディスコに浅野も出演するようになり、中学2年にしてセミプロのギタリストとして活動を始めています。
浅野さんは高校を辞めて、16歳でプロのギタリストとなります。
ミッキー吉野さんは、「ザ・ゴールデン・カップス」時代から、浅野さんの実力に一目置いており、米国留学から帰国してすぐに浅野さんをバンドに誘いました。
タケカワユキヒデさんのソロコンサートのバックバンドを務めていたミッキー吉野グループは、渋谷公会堂で開催されていたツアーの最終日に突如参加した浅野さんが、たった1日で20曲を超える演目をすべて習得したことに驚いています。
浅野さん やはり凄い実力ですね。ミッキー吉野さんは、浅野さんと一番長い付き合いをしてました。
亡くなった時は、胸にぽっかり穴が空いたのでは、と思います。
ミッキー吉野さんは「悲しいの一言。悲しくてやりきれません。」とコメントしてます。
タケカワユキヒデさんと浅野さんは、「ゴダイゴ」メンバーとして以上に親交が深く、ソロ活動でもタケカワユキヒデさんと浅野孝巳さんのコンビで活躍してました。
タケカワさんは浅野さんが亡くなられた時も、「大切な仲間だった」とコメントを発表してます。
この一言に悲しみの深さを感じますね。
浅野さんは、1975年にゴダイゴが結成されたメンバーで、ギターを担当していますが、ギタリストとしては、日本でまだあまり知られていなかったギターシンセサイザーを取り入れるなど、バンドの洗練されたサウンドの屋台骨でした。
浅野さんの小学5年生の時からギターを始めて、その技術を突き詰めて行った実力って、本当に凄いですね。
ミッキー吉野、タケカワユキヒデ、ゴダイゴギタリスト浅野孝巳のそれぞれの生い立ち!
ミッキー吉野さんは、1951年神奈川県横浜市に生まれ、4歳からクラシック・ピアノを習い始めます。そしてアメリカ合衆国のバークリー音楽大学を卒業します。
ミッキー吉野さん、超名門校を卒業って凄いエリートですね。
1966年 – バンド「ミッドナイト・エクスプレス・ブルース・バンド」(のちの「ベベス」)に参加。ナイト・クラブ、ダンス・パーティー、米軍キャンプや横浜本牧界隈で活動。
ジョー山中、カシアス内藤らと交友関係を持つ。
(Wikipedia)より
タケカワユキヒデさんは、1952年埼玉県浦和市に生まれ、5歳からヴァイオリンを、10歳から作曲を始めます。
母方曽祖父が、国産ヴァイオリンメーカー鈴木ヴァイオリン製造創業者の鈴木政吉。
母方大叔父に、ヴァイオリン教育のスズキ・メソードで名高い鈴木鎮一がいる。
また、父方の祖父は判事の武川佳海である。
父は、『「第九」のすべて』(芸術現代社)などの著作があり、ベートーヴェン研究家、音楽評論家の家系。
(Wikipedia)より
という音楽家の名門の家系です。圧巻ですね。
浅野孝巳さんは、1951年に豊島区東池袋に生まれ、立教小学校に入学!小学校5年生からギターを始めています。
やはり お家は凄いお金持ちで、実家は大きな作りの建物だったそうです。中学迄は立教でしたが、高校から私立聖学院高校に進学し、萩原健一と知り合います。
グループサウンズの流行った時代! この時代の音楽を目指している方達は、小さい頃から楽器を習い、豊かな幼少時代を送ってますね。
才能豊かなゴダイゴのギタリスト浅野孝巳さんを偲びます。
最後迄お読み頂きありがとうございます。
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