来生たかお さんの代表曲は、「Goodbye Day」「夢の途中」「シルエットロマンス」等、大ヒットした曲が数多くあります。
ノスタルジックな曲調を、淡々と叙情的に歌い上げる来生たかおさんの歌い方も、控えめなセンスでありながら、都会的で引き込まれてしまいますよね。
そんな来生たかおさんにフォーカスし、姉である来生えつこさんの影響等も、紐解いていきたいと思います。
来生たかおの経歴と現在は?
1950年生まれ、現在75歳!ザ・ビートルズの「Let It Be」のイントロを聴き、これぐらいなら自分でも弾けるかも知れないと思い、20歳の時に、近くの個人ピアノ教室で子供に交じりながら、ピアノを習い始めたそうです。
バイエルを3ケ月で終わらせて、週3回で約1年半の教室に通い 家では紙鍵盤で練習!その後は独学で学習しました。
ピアノを始める年齢が凄いですね。必要ならば、やる!やはり一流になるべく行動ですよね。
20代の前半は、音楽喫茶(銀座タクト、渋谷の”青い森”)に出演していました。
渋谷の”青い森”で、井上陽水さんと出会い、お互いオリジナルの曲やビートルズナンバーを演奏していたことから、親しくなって行ったそうです。
RCサクセションとも、”青い森”でよく顔を合わせており、忌野清志郎さんとは2000年に、共作しています。
2年後、井上陽水さんがシングル「夢の中へ」をヒットさせる中、片や 来生たかおさんは、まだアルバイト暮らしでしたが、井上陽水さんのディレクターとも知り合い、井上陽水さんのアルバム「断絶」にアコースティック・ギターで参加するお誘いがくる事になり、参加します。
井上陽水さんの存在は、陽水さんのディレクターとの対面を引き寄せてくれ、デビューのきっかけをくれた!来生さんにとって、井上陽水さんの存在は大きい!とのべている。
同じ時期、来生たかおさんがリスペクトし、弟子入り覚悟で通い詰めた作曲家に、いずみたく先生、浜口庫之助先生がいる。ほとんど門前払いだったそうです。
陽水さんのディレクターをしていた多賀さんにも認められなかったが、多賀さんも参ってしまうぐらいの粘り強さで、何度も日参した。やがて、スタジオへの出入りを許され、デモテープの1曲が、多賀さんに認められ、レコードの話が舞い込みます。
かくして、書き留めていた楽曲の中から、50曲をデビュー候補として録音する運びとなった。デビュー前で、曲が50曲以上あるなんて、来生さんはやはり凄いですよね。
来生たかおさんは、対人恐怖症である。と自身の性格を評している。テレビ出演の心境をよく「寿命が縮む」という言葉で表現しています。
テレビ初出演の時の極度の緊張感を味わった時の光景は、今でも夢に現れるそうです。本当にシャイですね。だから来生さんの曲が出来るのだなと思いました。
現在、来生さんは東京郊外の東久留米近辺に住んでいます。西東京市にある東伏見神社に、お正月は人ごみの多い元旦のお参りを避けて7日ぐらいに、毎年「ボケない事を願って!」と参拝しているそうです。カワイイ!
30年前から元祖セブンスターを吸っているそうで、「夫婦でタバコを美味しくたしなんでいるが、いたって健康である。風邪を引いた時は、不味いので、体調管理の目安にもなる」と。また「副流煙に発がん性があるのは、眉唾だと思う!」と述べています。
来生さんは、息子さんが2人おり、長男が35歳、結婚して孫がいるので、おじいちゃんとの事!次男が32歳との事で、2人とも独立し、今は夫婦2人で暮らしているそうです。
来生さんは、パソコンが中々苦手との事で、作曲は今だにすべて手書きで執筆したり、タバコを美味しく夫婦でたしなんだりと生活しているようです。
自分のすきな事を嗜むのは、逆にボケたりしないと私は思います。
来生たかおの姉!来生えつこからの音楽的影響!
来生えつこさんは、1948年生まれ、現在77歳、作詞家、小説家、エッセイスト!弟の たかおさんとは2つ違いです。
編集者をしながらフリーライターをしていたが、弟 来生たかおの曲に詩を付けるようになり、プロの作詞家になったそうです。凄い才能!ですね。
来生たかおさんは、姉 来生えつこさん からの影響が凄く強い影響を受けましたよね。
姉えつこさんが当てた、ビートルズのチケット3枚が、姉の友達が行けなくなってしまったそうで、その余った1枚のチケットで、来生さんはビートルズコンサートに行かして貰ったそうです。
そこからビートルズの強い刺激と影響を受けるようになったそうで、お姉様のお陰ですよね。
特に来生さんはポール・マッカートニーが好きだったそうです。
その年発売された ビートルズの「ラバーソウル」という曲が、姉 えつこさんの部屋から流れてきていたり、姉の友達がギターを持って遊びに来た時に、姉の部屋でフォークソングを弾いている音が聞こえてきたり、と音楽を目指す環境が徐々に整えられて行った。
姉が高校通学時に、観察した「サラリーマン」というタイトルの散文詩に、来生さんが勝手に曲をつけたのが、作詞の初めて!でした。
来生たかお、来生えつこ、2人は東洋工業のCM楽曲コンペに応募!
1977年リリースのしばたはつみ の曲「マイ・ラグジュアリー・ナイト」は、東洋工業(現マツダ)のCM楽曲コンペの為に書かれたものです。
小林亜星、筒美京平等、ベテラン作家陣も参加したコンペで、来生姉弟は、無名の自分達が、選ばれるはずが無い!と思っていた中で、優勝を果たしました。
これを機に、ソングライターコンビとして一躍脚光を浴びる事になり、以降、楽曲提供依頼が次々と舞い込むようになります。
来生たかおさんは、姉 えつこさんが大好きで影響を受けたのがよくわかります。
来生たかお 来生えつこ 薬師丸ひろ子への楽曲提供によるヒット!
映画「セーラー服と機関銃」の主題歌を、主演の薬師丸ひろ子が歌い映画共々、大ヒットした事で、(作詞)来生たかお(作曲)来生えつこ が作った曲です。
元々、来生たかおさんが歌うはずでしたが、急きょ薬師丸ひろ子が、歌うことになりました。
来生たかおさんも「夢の途中」として発売してます!
薬師丸ひろ子のおかげでヒットした自分は幸運だった。と振り返っています。
来生たかおさんは本当に謙虚ですよね。これが来生ファンのみんながしびれる所だと思います。
他にも、中森明菜「セカンドラブ」や大橋純子の「シルエットロマンス」等様々なアーティストに楽曲を提供するアーティストです。
本当に、来生さんの創る音楽は、都会的でありながら、時代の風を読んでいますよね。
来生さんの声も控えめでありながらも、ピンと一本筋の通る歌声で大好きです。
来生たかおファン歴30年の私は、これからも曲を聴きながら注目して行きたいと思います。
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