石川セリは、1971年に映画「八月の濡れた砂」の主題歌を歌い、1972年に「小さな日曜日」でソロデビューしました。70年代のニューミュージック界で活躍してます。そして、井上陽水からの猛烈なアタックで結婚!、芸能界から家庭に入り、3人の子育てをしていました。その後、新曲をリリースし、再び表舞台に登場してきました。芸能界復帰は、若くして子育てに専念し家庭に収まった石川さんの念願でした。
2004年の大動脈解離で生死をさまよう経験をし、この病気により、別居していた陽水の手厚い看護を受けて、今は仲良く暮らしている石川さん。やはり人生って、病気や苦しい事によって、お互いにとっての必要性がわかり、助け合えるんですね。
石川セリの旦那 井上陽水とのなれそめは、陽水の一目ぼれだった。
石川セリさんと井上陽水さんの出会いのキッカケは、1975年、ラジオ番組「パックインミュージック」に、松任谷由実と石川セリが出演していた。そこに、吉田拓郎と井上陽水が乱入し、石川セリを見た井上陽水の一目惚れでした。
陽水は結婚してましたが、石川セリの気を引くために、石川セリの代表曲となる「ダンスはうまく踊れない」を30分で目の前で創って、石川セリにプレゼント!し、猛アタックしたそうです。石川は後日、「この曲が恋愛へのきっかきっかけになった。」と述べています。
井上陽水は、1974年に一般女性と結婚しており、1976年に離婚してますが、その後石川セリの妊娠によって、1978年に結婚に至りました。
結婚後、セリは主婦業と子育てに専念していましたが、歌手復帰を目指していたセリに、陽水は「歌手をやるなら離婚だ!そんなに働きたいなら、花屋でもやれ!絶対に表にはでるな!」と、ののしり取っ組み合いのケンカになっていました。
陽水さんも、九州男児で亭主関白だったんですね。石川セリはハーフで、とてもエキゾチックで綺麗な可愛いさだったので、陽水さんは外に出したくなかったのかも知れません。
そんな状態の石川セリと井上陽水は、いつ頃からか、長きに渡る別居生活をしてました。
2011年、東日本大震災後、放射能の影響を心配して、娘の依布サラサさんが、自分の娘を連れて福岡県に移住した際に、石川セリも一緒について行き、東京を離れます。この時から、東京の自宅に残った井上陽水とは、本格的な別居状態になりました。
2002年と2011年に、井上陽水は不倫騒動を起こして、離婚危機を迎えています。石川セリのお母さんも「陽水は、人間味がないというか、人間としての余裕がないほうですから」と辛らつなコメントを、取材陣に対して答えてました。
井上陽水も、「家に居場所がない」と話しています。
石川セリの病気と井上陽水の献身的な看護!
2004年に大動脈解離を発症する。突然死のケースもある血管系の大病で、死をさまよう病気である。奇跡の生還をしたものの、声が思うように出ず、「抑揚が全くつけられなかった」その後ボイストレーニングを重ね、以前のように抑揚が戻ってきたとの事です。大病後に、歌える喜びを実感しているとの事でした。
石川セリが、この病気と闘えたのも井上陽水の献身的な支えがあったからと、徹子の部屋で伝えています。
石川セリと井上陽水の現在は、子育てから卒業し芸能界復帰!
石川セリの現在の活動は、2023年にリリースした「セリのアルバム」のプロモーション活動と、ライブ活動です。長女の依布サラサや次女のROMYと共に音楽活動をしてます。
2019年に、井上陽水のは、歌手活動50記念ツアーを敢行して以降は、表立った音楽活動を行っていません。
2020年に公式ホームページにビデオメッセージを公開したのを最後に公の場での活動も行っていないです。
2020年、井上陽水は福岡に新築マンションを購入し、移住してます。
2021年、井上陽水は個人事務所の代表取締役社長を辞任し、長男に社長の座を譲り、東京渋谷区にあったオフィスも引き払ってます。
石川セリ プロフィール
1952年12月に、神奈川県相模原市 生まれ、本名は、井上セイディ
父親がアメリカ人で、母親が日本人のハーフである。
玉川学園高等部に在籍中、コーラスグループ「シング・アウト」に在籍、モデル経験もある。
1971年、映画「八月の濡れた砂」の同名主題歌を担当し、1972年にレコードデビュー
同時期にデビューした松任谷由実(荒井由実)とはデビュー当時からの旧友である。
今だ美しい石川セリさん、今後の活躍を期待します。
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