渡辺真知子の現在は?その経歴と年齢!そして音楽的影響!

女性シンガー

渡辺真知子は、1956年10月生まれで、年齢69歳です。1977年にCBS・ソニー(現在:ソニーミュージック)からデビューしました。声楽家出身の豊かな声量で、伸びのあるパワフルな歌唱力と、明るい中にも哀愁を漂わせた曲調を持ち味として、相反する魅力的な世界観を持ってます。

犬好き! チワワ2匹を飼ってます。愛犬の名前は「キング」「コング」です。愛犬との散歩は、東京代々木近辺を散歩してます。

代々木近辺は、代々木公園も近くにあり、都心でも、緑豊かないい街ですよね。

渡辺真知子は現在何をしている?

渡辺真知子の現在は、愛犬との時間に多く費やしています。愛犬との散歩は、毎日欠かさず行っています。愛犬の名前は「キング」と「コング」で、ともに2歳のオスです。この名前は、強そうな名前ですよね。ですが とても可愛いチワワです。真知子さんのブログの中の愛犬「キング」「コング」の写真が可愛い!!(海からのメッセージ・渡辺真知子公式ブログ)

子犬の頃は小さくて可愛かったらしいのですが、その後、大きく成長して、体重が5,3kgと5,8kgとなり、散歩から帰ると、足を洗うのが一苦労だそうで、左腕で抱えて洗う為、左腕だけ一回り大きくなってしまったとの事!ちょっとお気の毒ですね。

趣味は、スキューバダイビングとガーデニングとの事です。海の中の探索や、グリーンを愛でるのは、凄く心が癒されますよね。真知子さん、めちぁくちゃ充実してますね。

 

渡辺真知子の年齢とプロフィールを紹介します。

渡辺真知子は、1956年10月生まれで、現在69歳です。やはり一線で活躍しているので美しくお年を重ねてますね。

渡辺真知子は、神奈川県横須賀市の出身で、ご両親、6歳上の兄、と音楽好きの4人家族の家庭で育ちました。お父さんの話では「生まれて半年でハミングしていた!」そうです。流石、音楽の流れている中で育つと違いますね。

幼稚園でオルガン、小学生でピアノを習い、中学生でギターを始めてます。

幼稚園に入園した頃は、凄いお喋りで、お父さんが「ぶっ壊れラジオ」とニックネームを付けて呼んでいたぐらい、お喋りが止まらなかったらしいです。真知子さん可愛がられていましたね。

その頃から、重ねた座布団の上をステージに見立て、お母さんや近所の叔母さん達の前で歌っていたそうです。小学生の頃も、友達のリクエストで歌っていると「上手!大きくなったら絶対に歌手になるね!」と良く言われ、自分の中でも歌手への夢が、大きく膨らんでいったそうです。やっぱり!同級生からも賞賛されていたんですね。

1970年代  高校生の時に作った「オルゴールの恋唄」という曲で、友達に背中を押されて応募した「第9回ヤマハポピュラーソングコンテスト」に出演し、審査員特別賞を受賞します。その影響もあってか、その後の学園祭で、渡辺真知子が歌うと、よその高校からも人が集まってきて、体育館が人であふれたそうです。真知子さんが通っていた高校は芸能活動は禁止でしたが、大人の同伴者がいるのなら!と、先生方に多めに見てもらい、例外的に認めて貰ったそうで、その後のヤマハのポピュラーソングコンテストにも連続出場する事が出来たそうです。当時から優しい大人達に見守られていたのですね。

渡辺真知子 日本の音楽に与えた影響と受賞歴

渡辺真知子は、当時レコード会社から「デビューしないか?」という話もありましたが、短大を卒業する迄はしないと決めて、クラシックを学ぶ事やロックバンドにボーカルで参加したり、と様々な音楽に浸り学びます。

この意志力が凄いですね。自分がどのように音楽と関わっていくのか、音楽に対するリスペクト力が渡辺真知子の力だと思います。

1970年代  短大卒業後のデビュー曲「迷い道」は、ディレクターからダメ出しを16回!その都度、横須賀から東京・市ヶ谷まで何度も通って、最後は半泣き状態でした。その甲斐があり、1977年デビュー!デビュー曲「迷い道」は大ヒットしました。2曲目の「かもめが翔んだ日」も大ヒットし、デビューと同時に、目が回る程の忙しさを経験します。

渡辺真知子は、彗星のように現れ、あの声音がテレビの中からいつも流れていました。

1980年代 「唇よ、熱く君を語れ」は、カネボウ化粧品のCM曲としてヒット「女性の時代」の幕開けを象徴する楽曲となる。映画「メインテーマ」に初出場し、ライブハウス「新宿ルイード」や渋谷公会堂など、ライブ活動を精力的におこなった。

1990年代 LPでリリースされた過去のアルバムがCD化され、12枚目のアルバムとなる「TAHIBALI」からはLP 盤は廃止され、CDでのリリースとなる。ジャズやフュージョンなどを取り入れた多国籍風サウンドに挑戦した。

2000年代 デビュー25周年を迎え、記念アルバム「大切な順番~SpecialBest~」をリリース、25周年コンサートを全国ツアーで25ヶ所で展開した。

2010年代 渡辺真知子公式ブログで、「小澤音楽事務所」を離れる事を発表する。個人事務所である自身の芸能事務所として「Kamome Music」を設立した。真知子さんの節目の年ですね。デビュー35周年を迎え、35年記念コンサートを開催し、鎌倉の建長寺で特別公演「渡辺真知子コンサート&創作能オンディーヌ」を開催。「グッドエイジャー賞」を受賞する。

2020年代 アルバム「明日へ」をリリース。新型コロナウイルス感染症の影響で発売延期と、東京オリンピックの延期が重なり、結果的に「コロナ禍の中にある人々に元気と希望を与える音楽」として世に送り出された。

渡辺真知子の性格は、天真爛漫な人柄で、テレビ・ラジオ出演時の軽快なトークが非常に人気で、そういった人柄が人気の秘密でした。なので、女優として映画やテレビドラマに出演したり、ラジオパーソナリティとしての活動をしたりと、マルチタレントとして引っ張りだこ!でした。あの当時、芸術家肌のアーティストが多かった当時のシンガーソングライターには珍しい存在でした。そして、何よりも真知子さんは、可愛かったですよね。

 

渡辺真知子の歌詞に隠された感動ストーリーと与えた音楽的影響

ノーベル化学賞を受賞された吉野彰さんも、「迷い道」の曲の歌い出しの「現在・過去・未来~♪」を耳にした時に、「なぜ、過去・現在・未来ではないのか?」と疑問に思い、研究に行き詰ったところで、歌詞のとおりに、「そうか!まず現在から過去を振り返り、そして、現在から未来を予測することが大切なんだ!」と、研究の転換が出来たそうです。「迷い道」は、ノーベル化学賞を受賞された吉野さんにとって、凄いキッカケの曲なんですね。

渡辺真知子は、同じCBS・ソニーの所属事務で、山口百恵と親しくなり、出身も同じ横須賀市という事もあって親友同士の付き合いとなった。そして、山口引退後も交流が続いている。

他に、「飛んでイスタンブール」が大ヒットした庄野真代や「東京ららばい」の中原理恵とも親しい。

デビューから45周年、渡辺真知子の音楽遺産を記してきました。本当に圧巻ですね。音楽に打ち込んできたからこそ、音楽シーンが変わった時に、自分だけ取り残されたように感じ、一旦音楽と距離を取ろうと、アメリカに行ったり、30代で、ジャズやラテンに目覚めて取り入れ、触れる事で、40代からやっと自由に歌えるようになったそうです。これが、渡辺真知子の音楽の世界観ですね。圧巻です。

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