ユーミンのイチゴ白書をもう一度 に賭けた ばんばん再生の願い!

男性グループシンガー

名曲「イチゴ白書をもう一度」は、ばんばひろふみが荒井由実という作家にどうしても書いて欲しいと願い、実現した曲である。フォークグループ「バンバン」が、デビューしても、一曲も売れてなかった為、荒井由実さんの曲で売れなかったら、「あきらめもつく」という思いで頼んだ曲である。

荒井由実さんは、当時あった学生運動を題材にした歌を常々創りたいと思っていた所に、ばんばひろふみ さんが「曲を作って欲しい」と現れ、曲を書くことになりました。「ピースがはまった感じだった」と回想しています。

「イチゴ白書をもう一度」名曲を創った荒井由実にバンバンを引き会わせた松任谷正隆

バンバンのメンバーである ばんばひろふみ さんは、全くヒット曲が無く焦りを感じていた中、荒井由実さんの曲を聞き、 荒井由実さんの「キラキラした凄い才能」を感じ非常に感銘しました。そして「自分にも曲を書いて欲しいと思い、もしこれで売れなかったら、諦める」と考え、荒井由実さんに会うためにあらゆる伝手を探しました。そこで、松任谷正隆さんに行きつく事になりました。

そして、ばんば さんは、荒井由実さんに、直接会って、「創る曲には何の条件も無いので、好きなように一曲書いて欲しい」と依頼したそうです。

出来上がった曲「イチゴ白書をもう一度」をデモテープで聞いた時、ばんば さんは、日常性を的確に捉えながら学生時代への別れを表現する斬新なフレーズに驚き、心が震えたそうです。ユーミンの天才性の発露を見た思いだったのでは、と思います。

1975年発売の5枚目のシングル「イチゴ白書をもう一度」この曲の発売とヒットで、一気にバンバンというグループにスポットが当たり始めます。

「イチゴ白書をもう一度」を創った天才、荒井由実

「イチゴ白書をもう一度」は、過ぎ去った学生時代を思い出す という内容の曲ですが、荒井由実さんは、当時盛んだった学生運動を題材にした歌を創りたいと思っていた所に、曲を依頼しに来たばんば さんを見て「初対面のばんば さんが学生っぽく、最後のピースがはまった感じだった」と述べています。そして曲を書くことになります。

天才的な作詞・作曲家の荒井さんが、「イチゴ白書をもう一度」この曲でオリコン1位になった最初の作品でした。荒井由実さんの偉大な才能が世に認められ注目を集めていくきっかけになった曲でもあります。

荒井由実さんの洗練された言葉の選択や心に響くメロディの創り方は、本当に素敵ですよね。みんなの心の中にあるけど、誰も発っしえない言葉を繋いでいくセンスが素晴らしいです。だから心の中にスーッとユーミンの曲が入って来ます。

「イチゴ白書」はすぐに打ち切られた映画った。

「イチゴ白書」は1970年6月15日に公開されたアメリカ映画で、コロンビア大学で実際に起こった学園紛争の手記をもとに製作された映画ですが、興行が振るわず、すぐに打ち切られました。誰も知らないような映画のタイトルを使う所に、荒井由実さんの天才的な創作力を感じます。

当時は、学生運動の象徴であった東大安田講堂から6年が経過し、学生運動がまだ社会の記憶に残っている時代であった。そんな時代背景を的確に捉える感性が、荒井由実さんの凄い所です。

「イチゴ白書をもう一度」を歌ったフォーク・グループ、バンバン

1971年、「何もしないで」でデビュー。当初の結成メンバーは、ばんばひろふみ を中心とした3人でした。1973年に4人となりましたが、その後2人グループとなったりと、メンバーの経済的な理由での解散、再結成を繰り返しています。

1975年、全く売れなかったフォーク・グループ・バンバンが、「イチゴ白書をもう一度」という曲に出会う事で、オリコン1位を獲得し、スポットライトが当たるようになる。

荒井由実さんに、是非曲を書いて欲しいと頼んだ、ばんばひろふみ さんの感性も凄いですよね。「イチゴ白書をもう一度」は名曲中の名曲です。

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