佐野元春さんは、メッセージ性の高い曲を歌い続けているシンガーソングライター!
デビュー当時から変わりなく一貫性のある生き方で年を重ねている
佐野元春さんが本当にカッコイイ!
佐野さんの妻や子供はいるのだろうか?
家族は何をしているのだろうか。
歳を重ねた今がより素敵な佐野元春さんの生き方を 紐解きたいと思います。
佐野元春の妻や子供は?

佐野元春
佐野元春さんは、既婚者!
誰と結婚してるのかは、世間に公表されてません。
佐野さん自身は、ステージに上がるアーティスト!
一線を画していて、家族等のプライベートは一切公表していない。
佐野元春さんの奥様では?と言われているのは
ROMYこと石川ひろみさん!
石川セリさんの妹です。
石川ひろみさん セリさんお2人共ハーフでエキゾチックで魅力的な方達。
佐野元春さんは「プライベートな話をすると、みんなそっちばかり気にして、音楽を聴いてくれなくなる」と言っているんだ。
「既婚者だけど隠しているわけではない。でも公表もしていない」とハッキリ言っているんだよね。
この言葉が、佐野さんのカッコイイ由縁だと思う。
マジ カッコイイ!よね。
プライバシーを尊重!
佐野元春さんはプライバシーを尊重し大切にしている。
佐野さんの歌詞に込められた想いや、インタビューで語られた人生観などから、家族とのつながりを感じ取れるんだよね。
そして 子供がいるのかの情報が全くわからない。
佐野さん自身が、純粋な少年のような心で生きているので
お子さんはいないのでは、と個人的には思う。
深い愛情を背負いながら 生活感のない洗練されたイメージの佐野さん。
今後もプライバシーは公にはしないと思います。
佐野元春 カッコイイ生き方!

佐野元春
佐野元春さんの、自身の楽曲やアルバムの作り方の発想力が違う。
自身はロックンロールを作っており、どんなに難しい表現の曲を作ったとしても、常に15歳から25歳の聴き手に聴いてもらうことを考えているとし、「僕は大衆音楽を作る人ではないかもしれません」とした上で「でも、誰よりも大衆音楽を作りたいと願っているアーティストでもあるんです」と述べている。
『ウィキペディア(Wikipedia)』
佐野さんは、本当に世の中を見ているんだね。
時代に寄り添いながらも、時代に流されずに自分独自の音楽を創り続ける事が出来るんだと私は思う。
自身の楽曲やアルバムの作り方について「「僕は悲しいので、こんな思いをみんな聴いて、同情して」みたいな曲は、僕は絶対に歌わない。
“私の歌”、“僕の歌”というのは、一切書いてこなかった。
“私”が主体じゃなくて、“私たち”が主体の音楽を上手く書けたらいいなと、ずっと思いながら続けてきました。
本当のことを言うと、曲を書く時に、僕が個人的に言いたいことは、何もない」「その時代、その時代の、僕の新聞のようなもの」「曲のタイトルがヘッドライン」「僕の思いを入れない方が、上手くいくわけです」「自分の曲を歌って、自分自身がエキサイトするものでなければ、大抵は駄作だなって思っている。
だいたい、僕なんかより、もっと感受性の強い人たちが聴いてくれているんだから、リスナーを絶対に見くびったりはしないし、いつも恐る恐る「大丈夫かな?」と思いながらソングライティングしています」
「だから、客観的な表現になるんだろうね」「僕のような風来坊が考えていることなんて、どうでもいいことなんです(笑)」と述べている。
『ウィキペディア(Wikipedia)』
佐野元春さんの曲の、詩的なメッセージ性は、こういった現代の風を感じての曲創りから始まっているんだね。
本当に時代をよんで、時代に流されずに自身を貫く生き方がカッコいい。
佐野元春 45周年の経歴!

佐野元春
佐野元春さんは2025年でデビュー45周年を迎える!
1980年に「アンジェリーナ」でデビューしてから、ずーっと第一線で活躍してるのは本当に凄い。
ロック、ポップ、ブルース、ヒップホップまで、時代ごとに音楽性を進化させながらも、芯のあるメッセージを届け続けてるのが佐野さんの魅力だと思う。
プロフィール!
佐野元春さんは、1956年3月東京都台東区(浅草寺に近い下町)に生まれた。
現在69歳。
お父さんは会社経営者で、お母さんは元新劇女優で青山でジャズ喫茶を運営していました。妹が一人。
少年時代は、手塚治虫に憧れて漫画に傾倒しているんだよね。
中学に入ると、トランジスタラジオで、ポップスやロックに傾倒。
この時期に、ランボーやマラルメ等を愛読。
中学2年の初夏に、ヘルマン・ヘッセの「赤いブナの木」にメロディをつける。
立教高等学校1年の夏に、ボブ・ディランを知り、強い影響を受けるんだよね。
その影響下で、ジャック・ケルアックを知る。
この時代の佐野さんの三大ヒーロー!
やはり違いますね。
高校2年で音楽部に入部し、ピアノを始めるんだ。
そして高校3年から一人暮らしを始める。
立教大学 社会学部 に入学後、ヤマハポピュラーソングコンテストに応募し、優秀賞を受賞!
だが 生活費と学費を稼ぐ為、広告代理店に就職を決める。
1979年に立教大学卒業し、会社員時代にアメリカに取材旅行に出向くんだ。
アーチスト達にインタビューを行う中で、「自分は何になりたかったのか」と自問自答!
そして再びミュージシャンの道を歩む決意をするんだ。
元春さんらしい所ですよね。
自分に問いかけ、自分のやりたい事を精一杯生きる!
だから生き方に一本筋が通っているのだと私は思う。
デビュー!

佐野元春
1980年、24歳の時に、シングル「アンジェリーナ」でデビュー!
1981年、「SOMEDAY」(サムデイ)は、4作目のヒット曲、JR 東海「ファイトエクスプレス」のコマーシャルソングに起用された。
この曲を聞いたお父さんは、「凄くいい曲だなあ」と褒めてくれたそうです。
元春さんは、相当嬉しかったと思う。
1983年、佐野元春は、一年間ニューヨークで生活し、街のカルチャーや音楽に触れ、アルバムの「VISITORS」の制作に取り組むんだよね。
この滞在中に、佐野はヒップホップカルチャーの隆盛や、MVTの台頭といった、当時のニューヨークの音楽シーンを目の当たりにするんだよね。
その後の音楽シーンの礎になる滞在ですね。
家族との別れ!
1991年にお父さん、その後お母さんも相次いで亡くなってしまう。
1997年、「THA BARN」の曲を書いていた頃、妹さんを32歳という若さで、不慮の事故で亡くしてしまう。
たった一人の妹さん。
『彼女にとって人生とは苦痛であったに違いない、僕は何度かそうではないことを伝えようとしたが、うまくいかなかった』と ”ハートランドからの手紙”に書き記している。
そして 「本当に僕は一人ぼっちになってしまったんだなあ!」と。
繊細すぎる妹さん。元春さんの苦悩が伝わってくる。
元春さんは、お父さんが亡くなった時に、悲しむ妹の為に「彼女の隣人」という曲を書いて贈っているんだよね。
妹に「隣に僕がいるよ」というメッセージを込めて ライブで涙で歌っている姿も印象的だったなあ。
THE COYOTE BANDとのツアー!

佐野元春
佐野元春さんは現在、45周年アニバーサリーツアーで、精力的にライブ活動を続けているよね。
「アンジェリーナ」や「SOMEDAY」みたいな定番曲も演奏されてるので、最高のライブ内容だよね。
佐野元春さんの 決して”自我”ではない!ところが、今でも多くの人に愛され、他のアーチストにも影響を与え続けているのだろうと私は思う。
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