来生たかお さんの代表曲は、「Goodbye Day」「夢の途中」「シルエットロマンス」他!
ノスタルジックな曲調を、淡々と叙情的に歌い上げる来生たかおさんの歌い方が、都会的なセンスで引き込まれてしまうんだよね。
そんな来生たかおさんの現在は?
妻や子供の事、また来生えつこさんとの関係や影響を、紐解いていきたいと思います。
来生たかおの現在 妻や息子は?

来生たかお
来生さんは何処に住んでいるのでしょうか。
住まい!
来生たかおさんは、現在 東京郊外の東久留米近辺に住んでいるんだ。
毎年 西東京市にある東伏見神社にお参りに行っているんだ。
お正月は人ごみの多いので 元旦のお参りを避けて7日ぐらいに、「ボケない事を願って!」と参拝しているとの事。
来生さんカワイイですね!来年もきっといらっしゃるんですね。
煙草を愛飲!
御夫婦で 30年前から元祖セブンスターを吸っているとの事。
「夫婦でタバコを美味しくたしなんでいるが、いたって健康である。風邪を引いた時は、不味いので、体調管理の目安にもなる」と。
また「副流煙に発がん性があるのは、眉唾だと思う!」
と述べている。
来生さんは、息子さんが2人いる。
長男が35歳、結婚して孫がいるので、おじいちゃんとの事!
次男が32歳との事で、2人とも独立し、今は夫婦2人で暮らしている。
来生さんは、パソコンが中々苦手との事で、作曲は今だにすべて手書きで執筆している。
タバコを美味しく夫婦でたしなんだりと心地よく生活しているようです。
仲がいい夫婦で羨ましいですね。
自分のすきな事をすきなように嗜むのは、逆にボケたりしないですよね。
経歴!

来生たかお
来生さんは1950年生まれ、現在75歳!
ザ・ビートルズの「Let It Be」のイントロを聴き、これぐらいなら自分でも弾けるかも知れないと、20歳の時に、近くの個人ピアノ教室で子供達に交じりながら、ピアノを習い始めた!
バイエルを3ケ月で終わらせて、週3回で約1年半の教室に通ったんだ。
家では紙鍵盤で練習し その後は独学で学習したんだって。
来生さんピアノを始める年齢が凄いですね。
自分に必要ならば、”やる”という行動力!
やはり一流になる人の行動ですね。
音楽デビュー!

来生たかお
来生さんは20代の前半は、音楽喫茶(銀座タクト、渋谷の”青い森”)に出演していたんだ。
渋谷の”青い森”で、井上陽水さんと出会い、お互いオリジナルの曲やビートルズナンバーを演奏していたことから、親しくなって行く。
RCサクセションとも、”青い森”でよく顔を合わせており、忌野清志郎さんとは2000年に、共作している。
2年後、井上陽水さんがシングル「夢の中へ」をヒットさせる中、かたや 来生たかおさんは、まだアルバイト暮らし!
そして 井上陽水さんのアルバム「断絶」にアコースティック・ギターで参加するお誘いがきて参加する事になる。
井上陽水さんの存在は、陽水さんのディレクターとの対面を引き寄せて、デビューのきっかけをくれた恩人!
来生さんにとって、井上陽水さんの存在は大きいんだね。
誰と知り合うかで、本当に人生が違う事の証明だね。
また、来生たかおさんがリスペクトし、弟子入り覚悟で通い詰めた作曲家に、いずみたく先生、浜口庫之助先生がいるけど、ほとんど門前払いだったとの事。
陽水さんのディレクターをしていた多賀さんにも はじめは認められなかったんだ。
でも 多賀さんも参ってしまうぐらいの粘り強さで、何度も日参した。
やがて、スタジオへの出入りを許され、デモテープの1曲が、多賀さんに認められたんだ。
そして、レコードデビューの話が舞い込むんだよね。
書き留めていた楽曲の中から、50曲をデビュー候補として録音する運びとなった。
デビュー前で、曲が50曲以上あるなんて、来生さんはやはり凄い才能があるんだよね。
対人恐怖症という繊細さ
来生たかおさんは、対人恐怖症である。と自身の性格を評している。
テレビ出演の心境をよく「寿命が縮む」という言葉で表現しているんだよね。
テレビ初出演の時の極度の緊張感を味わった時の光景は、今でも夢に現れるらしい。
本当に来生さんってシャイなんですね。
だから来生さんの繊細で都会的な曲が出来るんだと私は思う。
来生たかお 来生えつこの関係!

来生えつこ
来生えつこさんは、現在77歳!
来生たかおさんの姉である。
作詞家、小説家、エッセイスト!
編集者をしながらフリーライターをしていた。
弟 来生たかおさんの曲に詩を付けるようになり、プロの作詞家になったそうです。
凄い才能ですね。そう思うのは、私だけじゃないと思う。
姉の音楽的影響!
来生たかおさんは、姉 来生えつこさん から凄く強い影響を受けたんだ。
姉えつこさんが、ビートルズのチケットを3枚が手に入れた。
でも、姉 えつこさんの友達が1人行けなくなってしまった。
その余った1枚のチケットで、来生さんはビートルズコンサートに行く事が出来た。
特に来生さんはポール・マッカートニーが好きだったそうです。
その年発売の ビートルズの「ラバーソウル」という曲が、姉 えつこさんの部屋からよく流れてきていた。
姉の友達がギターを持って遊びに来た時に、姉の部屋でフォークソングを弾いている音が聞こえてきたり、と音楽を目指す環境に恵まれていたんだね。
姉が高校通学時に、観察した「サラリーマン」というタイトルの散文詩に、来生たかおさんが勝手に曲をつけたのが、作詞の初めてなんだって。
本当に才能が凄いね。
来生たかおさんは、大好きな姉 えつこさんに影響を受けたのがよくわかるエピソードだね。
コンペに応募!

来生たかお
1977年リリースのしばたはつみ の曲「マイ・ラグジュアリー・ナイト」は、東洋工業(現マツダ)のCM楽曲コンペの為に書かれたものなんだって。
小林亜星、筒美京平等、ベテラン作家陣も参加したコンペで、来生姉弟は、無名の自分達が、選ばれるはずが無い!と思っていた中で、優勝を果たした。流石です!
これを機に、ソングライターコンビとして一躍脚光を浴びる事になり、以降、楽曲提供依頼が次々と舞い込むようになってきたんだ。
薬師丸ひろ子への楽曲提供!
映画「セーラー服と機関銃」の主題歌を、主演の薬師丸ひろ子さんが歌い映画共々、大ヒットした曲!
(作詞)来生たかお(作曲)来生えつこ が作った曲なんだよね。
元々、来生たかおさんが歌うはずだったのが、急きょ薬師丸ひろ子さんが、歌うことになったとの事。
その後、来生たかおさんも「夢の途中」として発売!
薬師丸ひろ子さんのおかげでヒットした自分は幸運だった。と振り返っている。
来生たかおさんは本当に謙虚!
これが来生ファンのみんながしびれる所だと私は思う。
来生たかおさんは、他にも中森明菜「セカンドラブ」や大橋純子「シルエットロマンス」等様々なアーティストに楽曲を提供するアーティスト!
本当に、来生さんの創る音楽は、都会的でありながら、時代の風を読んでいるよね。
来生さんの声も控えめでありながらも、ピンと一本筋の通る歌声で私は大好きなんだ。
来生たかおファン歴30年の私は、これからも来生たかおさんの曲を聴き続けていきます。
こちら 関連記事!


