井上陽水 現在は引退?年齢とWiki、妻との関係は?    

男性シンガー

井上陽水さんは、名曲「少年時代」「夢の中へ」「心もよう」と数知れない歌がヒットしています。

井上陽水さん、今活動を休止して、故郷の福岡で公園を歩いたり、ゆっくりと隠遁生活を送っているようですが、体調は全く問題ないとの事、

そんな井上陽水さんが何故、故郷の福岡に戻って隠居生活を楽しんでいるのかを、紐解いていきたいと思います。

 

井上陽水の年齢!とWiki的プロフィール!

井上陽水:(いのうえ ようすい)1948年生まれ、現在77歳です。

本名:(いのうえ あきみ)漢字が一緒ですが、読み方が違います。

出身地:福岡県、お父さんは、歯科医でした。

学生時代は、エルビスプレスリー等の洋楽を聞き、ビートルズにも熱中、高校時代は、ビートルズ狂とも言われるぐらい聞きまくっていました。

稼業の歯科医を目指して、受験しますが、3回受験で落ちてしまいます。

その後、上京して歌手を目指します。陽水さんの本来の道ですよね。

1969年代の、アンドレ・カンドレ(最初の芸名)の不遇な時代を送る。何か売れなさそうな名前!

この当時の陽水さんの印象は、彼の言葉はとても鋭く、近づけないような雰囲気だった。演奏している背中を見ると、なんだか切なかった!という印象との事!

やはり人を引き付ける魅力があったと言う事ですね。

1971年、ポリドールに移籍し、ディレクターの多賀英典さんと一緒に仕事を始め、このタイミングで「井上陽水」に名前変更しました。「陽水」の方が馴染みやすいですよね。

陽水さんの「傘が無い」は、今のどうしようもない時代に生き続ける若者に慰みを与えてくれる曲である。と絶賛されていた。

デビュー後の1972年の大晦日「渋谷ジァン・ジァン」「青い森」が初めてのライブで、ギャラは1ステージ5000円だったそう!

1973年12月にアルバム「氷の世界」をリリース。ロングセールスを続き、2年後日本レコード史上初のLP販売100万枚突破するという金字塔を打ち立てた。凄いです。

井上陽水 フォーライフ時代に大麻で逮捕される

1977年、大麻所持容疑で逮捕される。

「自分は酒が飲めないので、くつろぐためにマリファナを吸った」と自供した。

執行猶予2年の判決を受けましたが、朝日新聞の筑紫哲也さんが、

「マリファナは日本では違法であるが、これと絡めて井上陽水の歌まで否定する一部の意見は間違っている」と発言し、擁護を行っている。

1978年7月、上記の事件後(執行猶予中)にリリースされたアルバム「”white”」はオリコンチャートの3位を獲得した。

このように、陽水さんは、事件を起こしながらも才能を発揮させ、世間からのいい意味でも、悪い意味でも評価を受けます。

井上陽水の1984年からの活躍!

1984年頃から井上陽水さんは、作詞・作曲家としての才能がさらに開花し、中森明菜さんの代表曲「飾りじゃないのよ涙は」の作詞・作曲を担当し、大きな話題になった。

この曲はアイドル像を塗り替える衝撃的な作品でしたね。

また、陽水のさんは他のアーティストにも楽曲を提供し、深い言葉の世界を作り出しました。

例えば、陽水さんのバックバンドだった安全地帯への「ワインレッドの心」など。これらの活動は、日本の音楽シーンに大きな影響を与えましたね。

『9.5カラット』は、井上陽水さんが1984年にリリースしたセルフカバーアルバムです。安全地帯、中森明菜、沢田研二などへの楽曲提供曲を井上陽水自身が歌っています。

アルバムは大ヒットし、日本レコード大賞アルバム大賞も受賞!このアルバムで彼のシンガーとしての力が改めて評価されましたね。

陽水さんの独自のボイスや歌い方、素晴らしい表現力に圧倒されますよね。

「9.5カラット」は1985年のアルバム年間売上1位を獲得し、陽水さんは、「氷の世界」以来の自身2作目のミリオンセラーとなり、日本レコード大賞で作曲賞とアルバム賞を獲得します。

陽水さんの凄い才能を感じますよね。

井上陽水の現在は?

井上陽水さんは2019年にデビュー50周年を記念した全国ツアーを開催し、2020年10月には公式サイトでビデオメッセージを公開し、その後の活動は休止状態です。

井上陽水さんは2020年に福岡に新築マンションを購入、2021年には個人事務所の代表を辞めて、長男に社長の座を譲り、さらにオフィスも引き払うなど、着実に終活を進めていたとされています。

井上陽水さんは現在、ご自身の故郷福岡で穏やかに暮らしているそうです。

最近は活動を控えていますが、健康には問題なく、時々散歩を楽しみながら日々を過ごされている様子が、写真で撮られていますね。

また、芸能活動への復帰については、可能性はあるものの現在のところ具体的な予定はないとのことです。こんな穏やかな暮らし、ちょっと憧れますね!

井上陽水の前妻は?

陽水さんは、最初の奥さんと1974年1月17日、熊本県出身の女性と結婚します。

これを機に、中野の四畳半のアパートから、世田谷三軒茶屋の3LDKのマンションに引っ越したそう!

一般女性の方なので、これ以上の情報はありませんが、唯一とても裕福な実家の方だったという事が言われています。そして、1976年に離婚します。

陽水さんの売れない時代を支えた方なんでしょうね。

井上陽水の妻、石川セリと!

石川セリさんと井上陽水さんの出会いのキッカケは、1975年、「パックインミュージック」に、松任谷由実さん事ユーミンと石川セリさんが出演していた、ラジオ番組に、吉田拓郎さんと井上陽水さんが乱入し、セリさんを見た井上陽水さんの一目惚れ!という話は有名ですよね。

陽水さんは結婚してましたが、石セリさんの気を引くために、セリさんの代表曲となる「ダンスはうまく踊れない」を30分でしかも目の前で作り、セリさんにプレゼント!、猛アタックしたそうです。

ちなみに、陽水さんが、石川セリさんへの楽曲の提供は、「ダンスはうまく踊ない」 作詞・作曲:井上陽水(1977年)と「気まぐれ」 作詞:石川セリ/作曲:井上陽水の2曲です。

1978年8月30日、陽水さんの誕生日に結婚式をあげます。ドラマチックですね。

井上陽水さんと石川セリさんの結婚生活は波乱万丈で、、石川セリさんが育児や主婦業から離れて歌手として復帰したいと願った際には、陽水さんとの意見とぶつかり合い、別居したりしてます。

でも、石川セリさんが2004年に大動脈解離という命に関わる病気を患った際、陽水さんは献身的に看護し支えました。これが2人の絆を深めたようです。

このように、挑戦がある中でも深い絆が彼らを支えていたと言えますね!

今、福岡の地元で、井上陽水さんと石川セリさんは、穏やかな生活を送っていると言われています。

震災後の移住をきっかけに、福岡に住む娘の依布サラサさんと一緒に暮らすようになった石川セリさんと、陽水さんも福岡にマンションを購入し、地元での生活を楽しんでいるようです。

自然豊かな環境でリラックスした時間を過ごしている様子が伝えられていますね。

一時代を駆け抜けてきた井上陽水さん、今充電中ですが、陽水さんの残した数々の名曲を聴きながら過ごす私としては、また、ライブ会場で会いたい気持ちと、ゆっくり余生を楽しんで欲しい気持ちが交互にやって来ます。

石川せりと井上陽水の現在は?なれそめ!から別居の真相は?
石川セリさんは、1971年に映画「八月の濡れた砂」の主題歌を歌い、1972年に「小さな日曜日」でソロデビューしました。70年代のニューミュージック界で活躍してます。2004年の大動脈解離で生死をさまよう経験をし、この病気により、別居していた...

 

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