井上陽水さんは、名曲「少年時代」「夢の中へ」「心もよう」と数知れない歌がヒット!
井上陽水さんは今活動を休止して、故郷の福岡で公園を歩いたり、ゆっくりと隠遁生活を送っているようです。
体調は全く問題ないとの事、これを聞いて私を含めたファンは安心したと思う。
そんな井上陽水さんが何故、故郷の福岡に戻って隠居生活を楽しんでいるのか
娘や妻、ご家族の事も紐解いていきたいと思います。
井上陽水の現在、引退?

井上陽水
井上陽水さんは2019年にデビュー50周年を記念した全国ツアーを開催し、2020年10月には公式サイトでビデオメッセージを公開し、その後の活動は休止状態。
井上陽水さんは2020年に福岡に新築マンションを購入したんだよね。
2021年には個人事務所の代表を辞めて、長男に社長の座を譲ったんだ。
オフィスも引き払うなど、着実に終活を進めていったんだよね。
井上陽水さんは現在、ご自身の故郷福岡で穏やかに暮らしている。
最近は活動を控えていますが、健康には問題なく時々散歩を楽しみながら日々を過ごされている様子が、写真で撮られていますね。
芸能活動への復帰については、可能性はあるものの現在のところ具体的な予定はないとの事。
陽水さんのこんな穏やかな暮らし、私はちょっと憧れる!
井上陽水の年齢 Wikiプロフィール!

井上陽水
井上陽水:(いのうえ ようすい)1948年生まれ、現在77歳。
本名:(いのうえ あきみ)漢字が一緒ですが、読み方が違いますね。
出身地:福岡県、お父さんは、歯科医。
学生時代は、エルビスプレスリー等の洋楽を聞き、ビートルズにも熱中、高校時代は、ビートルズ狂とも言われるぐらい聞きまくっていたそう。
稼業の歯科医を目指して、受験しますが、3回受験で落ちてしまった。
陽水さん、医学部受験しているから、元々頭がいい!と私は思う。
その後、上京して歌手を目指します。陽水さんの本来の道に来たーって私は思った。
1969年代の、アンドレ・カンドレ(最初の芸名)の不遇な時代を送る。
何か売れなさそうな名前!だと個人的には思う!
この当時の陽水さんの印象は、陽水さんの言葉はとても鋭くて、近づけないような雰囲気だった。
演奏している姿を見ると、なんだか切なかった!という印象!
これが陽水さんらしさであり、逆に人を引き付ける魅力なんだと私は思う!
1971年、ポリドールに移籍し、ディレクターの多賀英典さんと一緒に仕事を始めたんだ。
このタイミングで「井上陽水」に名前変更。
個人的には「陽水」の方が馴染みやすいよね。
陽水さんの「傘が無い」は、今のどうしようもない時代に生き続ける若者に慰みを与えてくれる曲である。
絶賛されていた曲で、私もいつも聞いていた曲。
デビュー後の1972年の大晦日「渋谷ジァン・ジァン」「青い森」が初めてのライブで、ギャラは1ステージ5000円だったそう!
メジャーデビューの後に、個人ライブは他のアーチストと違う形だよね。
でも 陽水さんらしい!と個人的には感じるんだよね。
1973年12月にアルバム「氷の世界」をリリースし、ロングセールスが続いた。
発売2年後日本レコード史上初のLP販売100万枚突破するという金字塔を打ち立てたアルバムは、本当に凄いよね。
フォーライフ時代に大麻で逮捕
1977年、大麻所持容疑で逮捕される。
「自分は酒が飲めないので、くつろぐためにマリファナを吸った」と自供した。
執行猶予2年の判決を受けましたが、朝日新聞の筑紫哲也さんが、
「マリファナは日本では違法であるが、これと絡めて井上陽水の歌まで否定する一部の意見は間違っている」と発言し、擁護を行っている。
1978年7月、上記の事件後(執行猶予中)にリリースされたアルバム「”white”」はオリコンチャートの3位を獲得した。
このように、陽水さんは、事件を起こしながらも才能を発揮させ、世間からのいい意味でも、悪い意味でも評価を受けたと思う。
陽水さんは寂しかったのかな?と個人的には感じるなあ。
1984年からの活躍!
1984年頃から井上陽水さんは、作詞・作曲家としての才能がさらに開花した。
中森明菜さんの代表曲「飾りじゃないのよ涙は」の作詞・作曲を担当し、あの当時大きな話題になったよ。
この曲はアイドル像を塗り替える衝撃的な作品だと、個人的には感じる。
また、陽水のさんは他のアーティストにも楽曲を提供し、深い言葉の世界を作り出しましたんだよね。
例えば、陽水さんのバックバンドだった安全地帯への「ワインレッドの心」など。
これらの活動は、日本の音楽シーンに大きな影響を与えたんだと私は思う。
『9.5カラット』は、井上陽水さんが1984年にリリースしたセルフカバーアルバム。
安全地帯、中森明菜、沢田研二などへの楽曲提供曲を井上陽水自身が歌っていますが、私は陽水さんの歌い方や声の方が好きなんだ。
アルバムは大ヒットし、日本レコード大賞アルバム大賞も受賞!
このアルバムで陽水さんのシンガーとしての力が改めて評価されたと、個人的に思う。
陽水さんの独自のボイスや歌い方、素晴らしい表現力に圧倒される。
「9.5カラット」は1985年のアルバム年間売上1位を獲得したんだよね。
陽水さんは、「氷の世界」以来の自身2作目のミリオンセラーとなり、日本レコード大賞で作曲賞とアルバム賞を獲得。
陽水さんのこの凄い才能を感じるのは私だけじゃないと思う。
井上陽水の娘 依布サラサ(いふ・さらさ)

娘サラサ
井上陽水さんの娘 依布サラサ(いふ・さらさ)さんは1983年12月22日生まれ!
歌手・作詞家・ラジオパーソナリティとして活動しています。
芸名の「依布サラサ」は、幼い頃に妹と考えた理想の名前「サラサ」と、英語の「if(もしも)」からインスピレーションを得て名付けられたんだ。
彼女の本名は井上ニサで、母親は歌手の石川セリさん。
音楽一家に育ち、2007年にシンガーとしてデビューしました。
現在は福岡に拠点を移し、地元のテレビやラジオでも活躍中!
妹の名前は「アンナ」さんとされていて、彼女も一時期は音楽活動に関わっていたようですが、現在は表立った活動はしていない。
音楽の才能がしっかり受け継がれていて、まるで清流が次の世代へと流れていくみたいで素敵だね。
井上陽水の妻 石川セリ

井上陽水と石川セリ
石川セリさんと井上陽水さんの出会いのキッカケは、1975年、「パックインミュージック」!
松任谷由実さん事 ユーミンと石川セリさんが出演していたラジオ番組に、吉田拓郎さんと井上陽水さんが乱入!
セリさんを見た井上陽水さんの一目惚れ!という話は有名だよね。
その時 陽水さんは結婚してました!
それでも 石セリさんの気を引くために、セリさんの代表曲となる「ダンスはうまく踊れない」を30分で!しかも目の前で作り、セリさんにプレゼント!
陽水さんの猛アタック!
自分の才能を生かしてアプローチするなんて、陽水さんの必死さを感じるエピソード!
陽水さんが、石川セリさんへの楽曲の提供は、「ダンスはうまく踊ない」 作詞・作曲:井上陽水(1977年)
「気まぐれ」 作詞:石川セリ/作曲:井上陽水の2曲。
1978年8月30日、陽水さんの誕生日に結婚式をあげます。
ドラマチックでいいなあ!と個人的には思う。
井上陽水さんと石川セリさんの結婚生活は波乱万丈だったんだよね。
石川セリさんが育児や主婦業から離れて歌手として復帰したいと願った時に、陽水さんとの意見とぶつかり合って、別居してしまう。
でも、石川セリさんが2004年に大動脈解離という命に関わる病気を患った際、陽水さんは献身的に看護し支えたんだよね。
これが2人の絆を深めたと私は思う。
井上陽水 まとめ

井上陽水
このように、挑戦がある中でも深い絆が彼らを支えていたと言えると感じるのは私だけでは無いと思います。
今、福岡の地元で、井上陽水さんと石川セリさんは、穏やかな生活を送っている。
震災後の移住をきっかけに、福岡に住む娘の依布サラサさんと一緒に暮らすようになった石川セリさん。
陽水さんも福岡にマンションを購入し、地元での生活を楽しんでいるよう。
自然豊かな環境でリラックスした時間を過ごしている様子が伝えられているよね。
一時代を駆け抜けてきた井上陽水さん。
今充電中ですが、陽水さんの残した数々の名曲を聴きながら過ごす私としては、
また、ライブ会場で会いたい気持ちと、ゆっくり余生を楽しんで欲しい気持ちが交互にやって来るんだよね。
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